時と次元を超えた許し
今日は、多分、長くなるんじゃないかと。例え、一瞬の間、感じたエネルギーや感覚であっても、それを言葉で表そうとするとなぜ、そう感じたのか、そこに至る経緯も説明する必要があるのですごく長くなってしまうんですよね。(伝える力のなさは、棚に上げておく😅)さて、王家の谷の中に入るため入り口で、チケットを買いにゆくとチケットを売る人が「君に20%のディスカウントをしてあげるよ」と言って、安くしてくれました。「え?なんで?」と思いつつありがとう~と言うと「私はあなたをサポートしたからそのかわり、君も私をサポートしてね」要は、チップをくれと言うのです。入場料をディスカウントして、チップをくれは初めてのパターンで、呆れましたがいくらか渡しました。ちなみに、エジプトの神殿やピラミッドの入場料は去年までは、キャッシュが使えたのですが今年から、全てカード支払いのみになっています。多分、そう言った不正が行われないためにもカードだけになったのでしょうがこの人たちは、関係ないんだなあと。それから、王家の谷の敷地内に入り真直ぐに、セティ1世の墓に向かいます。ここも一人になる必要がありますがセティ1世の墓は、別料金がかかることもあって大抵、観光客は、少ないのです。さらに、この時期だし、時間帯も早いのでそれに関しては、全く心配していませんでした。セティ1世の墓の入り口に着くと2人の監視員が入り口にいました。チケットを見せて中に入る階段を降りようとすると一人が、ガイドをしようとして何やら言いながら、近寄ってきます。「Leave me alone」私が、キッパリとそう言うと彼は引き下がり、階段を降りる私についてきませんでした。後から思うと、あの時の私の声や言い方は、いつもとは違っていました。大ピラミッドに入る時は、監視員にチップを渡して「お願い、一人にして」と頼んだしまたホルス神殿の時は、言われるがまま、監視員についてゆきましたが今回は、どちらでもなくなんだか、相手にうむを言わせない言い方でした。チップさえも渡していなかったことに後から気づきました。長い階段を降りてゆきます。階段の上に描かれたイシス。やはり、中には、まだ誰もいませんでした。中に降りてゆくにつれて次第に、いろんな想いやエネルギーが駆け巡ってきました。私は、ある場所についてセティ1世と繋がりました。これは、あくまでも私が捉えているセティ1世のイメージですが彼は慈悲深く、また叡智をもった人でした。でも、ファラオと言う立場上苦渋の決断を強いられることも多かったのではないかなと。2019年に、えずみんとこの墓を訪れた時にセティ1世が現れたのですが、彼女は彼の姿を見て「このファラオ、人を処刑したくなくても立場上、しなければならなくて、辛かったんだね」というようなことを言ったことがあります。彼は様々なことに対して罪悪感を抱えていました。さらには、後に権力の象徴となった息子ラムセス2世の存在も彼は葛藤し、自分の責任を感じていました。(もちろん、すべて、私がそう受けとっているだけで事実ということとは違います)ただただ涙が溢れました。「もう、許そう」無意識に、私は、そう言っていました。「もう、許そう。人間の抱えている欲や愚かさを。そして、それを変えることができなかった自分自身を。それは、魂の学びのために必要な運命だったのだから。あなたは、その運命の中で本当によくやったのだから」私は、全く思考が働かない中で無意識に、そう言っていました。これは、後から気づいたことですが「もう、許そう」と言う言葉は、この旅を出発する前々日に行ったクライアントさんへのセッションで出てきた言葉でした。その時は、キリストが現れてキリストから、その人のインナーチャイルドに伝えられたのですがインナーチャイルドの癒しで「もう、許そう」と言う言葉が伝えられたのは、初めてのことだったのでとても印象に残りました。旅の出発の前々日と言う余裕のない日程でそのセッションを行うことになったのはそのクライアントさんの解放のタイミングと私自身のタイミングが重なっていたことに後から、気づいてなんと全ては、すごいタイミングでやってくるのだろうと。でも、このセティ1世の墓の中で自然と出てきた「もう、許そう」と言う言葉は誰がその言葉を言っているのかまた、誰に対して伝えているのか、はっきりと分けることはできませんでした。セティ1世から、私への言葉なのかまた、トートやキリストなど高次元の存在からの言葉なのかまた、私のハイヤーセルフに対してかけられた言葉なのかまたは、セティ1世に対しての言葉なのかそして、多分、その全てなのです。キリストやトートなど高次元の存在から私のハイヤーセルフとセティ1世のハイヤーセルフへセティ1世から、私のハイヤーセルフへ全てが混じり合っていて全てが一体化して誰の感情や感覚なのかよくわからないままボロボロ泣きました。そして、これは、この日、ホテルで情報をあげて出てきた情報ですが「偽善者」という言葉が選ばれてセティ1世が、自分自身を偽善者のように感じていたことを知りました。そして私の子供の頃から抱いていた罪悪感が、この言葉が出てきてやっと、溶けてゆくのを感じました。以前も書いたと思いますが小学校の5、6年の時に担任の先生が、作文の時間に「紙に、どんなことでも自分の悩みを書いてください」と言うので私は、勇気を持ってそれまで親にも友人にも伝えることがなかったこと「私は、自分のことを偽善者ではないかと思う時があります」と書いたのでした。自分で書いたこの言葉は強烈にその後の私の人生に影響を与えていて「偽善者になりたくない」と言う想いが強くだから、人に認められるため人から好かれるために自分を偽るようなことは絶対にやらないことを、10代のうちにはっきりと決めていました。だから、私はずっと正直な人が好きだったのだなと。自分自身を偽る人、表と裏が違う人いい人のふりをする人そんな人は、昔から偽っているのをどこかで見ぬいてしまうし自分自身も、とにかく正直でいることが自分を好きで居続けるために最も大切なことでした。でも、ずっとわからなかったのはなぜ、私は小学校の5、6年の時に自分のことを偽善者ではないかと思ったのだろう?と言うことでした。勉強は、親に認められるために頑張ったのではなくて本当に楽しくてやっていたし誰かのことを心の中で悪く思ったりひどいことを考えたりしたこともないし昔から、正直にそのままを出す子でなぜ、自分のことを偽善者だと思ったのかまた、そのことで、なぜそこまで苦しんだのかとても不思議でした。でも、それがこの前世のカルマからの影響だと言うことがわかって全てが溶けてゆきました。私の子供の頃から大きな影響を与えていたカルマの一つがやっと終わりました。ワークが終わってからもしばらく広いセティ1世の墓の中でボーッとしていました。さすがに、監視員が心配になったのか降りてきましたがその時は、全てが終わっていたので私は、監視員に、一人にしてくれたお礼としてチップを渡しました。「Are you happy?」と監視員が聞いたので私は、彼に微笑んで、「Yes, I am so happy」と返しました。多分、私が、このセティ1世の墓を訪れるのは、これが最後になるのだろうなと。(あくまでも多分ですが)この日、ホテルに戻ってから自己調整を行いました。トートから「君の仕事ぶりは、称賛に値するよ」そう褒められて心からほっとしました。それと、この後デトックスとして上がってきたのはボブの親戚の住む村に行った時にリンクした霊的なエネルギーでした。どんなエネルギーかと言うと男性への不信感に関わるエネルギーであそこにいた女性たちとリンクしていました。確かに、あの時、女性たちから「あんな男たちは、ほっておいてこちらに来なさいよ」みたいな男性に対する不信感のエネルギーを感じていました。だから、私はボブへの怒りとして感じたのだなあと。あの後、ボブには村で私は何を感じていたのか正直に話しました。もちろん、彼には意味がよくわかっておらず「つまり、僕がお金を子供に渡すタイミングが早かったことが問題なんだね」と言いましたがそれは、それで何も問題はなくただ、全てが私の中で起こっていたことでした。子供たちが、お金に群がって奪い合う姿そのお金をばら撒いているかのような私でも、実際は、そうではなく子供たちは、単に自分のおもちゃが欲しい気持ちと同じでやっているに過ぎないし私は、そしてボブも偽善者でも何でもなくお金に対する価値観の違いはあるにしてもただ子供たちを笑顔にしたかっただけでした。こうして、夕方にルクソールを経ってカイロを経由しニューヨークへと戻りました。それにしても、元々は去年から、ずっとクラス続きだったのでバケーションを取ろうと決めた旅でしたが終わってみればサルディーニャは、聖地を巡りつつもバケーション感ありましたがイギリス以降は、なかなかにハードな旅でこれ、バケーションと言えるのか〜(トートに「仕事ぶり」とか言われてるし😅)ルクソールの空港でチップ目当てに、私の荷物を持とうとして群がってくる人たちを見ながら「I need a vacation 」というシュワちゃんの古いセリフが思わず、口に出てきたぐらい🤣ニューヨークに戻ってから本当の(束の間の)バケーションを楽しんでいます。私の旅日記(夢日記)にお付き合いくださった方ありがとうございます。できる限り、今の自分の感覚をそのまま綴ったつもりですがまだ消化できていない部分もあるのでまたこれから、自分と向かい合う中で新たな気づきもあるのでしょう。自分の内面に向かう旅は果てしなく続いてゆくのですから。