孤独感と自己価値と
何度か書いてきたように一言で、孤独感と言ってもいろんな種類があって人間は肉体が分離している以上人は、みんなどこかで孤独感を抱えているものだと言っても過言ではないかもしれません。その分離による孤独感をどこまで埋めることができるのか?それが、結局のところ私は愛されている私はわかってもらっている私は守られている私は存在する価値があるという感覚につながってゆくのだなあと感じています。いろんな方のセッションを通じて思うのは根底に孤独感が深ければ深いほど「人から必要とされたい」という想いが強くなる傾向があると言うこと。自分が人を必要とするのではなく「人から必要とされたい」という意識が強くなるのです。自ら人を必要とする人つまりは、人に甘えたり、頼ったり弱さを素直に出せる人は孤独にはならないのです。甘えることができない人、弱さを出さない人は自分で全てを抱え込んでしまうのでさらに孤独感が深まります。そう言う方は自分が人に頼られたり、必要とされることで私はここに生きている価値があるということを認識したいと無意識に感じています。ですから、深い孤独感を持っている人は自分自身より、他の人を優先してしまったり人のためにやりすぎてしまったり嫌われないよう気を使ったり身体を無理してしまったりどこかで心身のバランスを崩してしまいがちなのです。そんなことを感じていたのですがちょうど、先日、対面でのセッションを受けられた方にまさに、この孤独感と自己価値に関するテーマが出てきました。この方は、以前、ご病気になられたのですが今は、ほぼ回復されてすっかり元気になったと言うことでしたが筋反射で調べてみるとまだ身体の機能は、完全には回復されていませんでした。彼女から、セッション後に感想を頂いたのでシェアさせてください。改めましてセッションしてくださりありがとうございました。自分の存在価値をまだまだしっかり感じられておらず再び、命まで投げ出そうとしていたのだなぁと思いました。「生きていればこそ」「命さえあれば」と、あれだけ願ったのに、です。いざ治療が終了したら表面的には元気になったと大きな勘違いをしていたしその勘違いがまた自分に無理をさせようとしていたのですね。なかなか自己ヒーリングに取り組むことへのハードルを越えることが出来なかったことがハイヤーセルフの意向魂の方向性をうまく読み取れず勘違いしてしまうことに繋がっていたのだなぁと思います。宇宙系遺伝め!(笑)それにしても、運動が足りていないよとまで言われたことには仰天しました!!これもまた、ウォーキングしているからとか家事や庭仕事で身体を動かしているからとたかをくくっていました。あまりにもお見通し過ぎて笑いしかありませんでした。運動もしていきます!そして、自分の存在価値については、「そこに居るだけで生きているだけで私たちには価値がある」って、良く聞くし、もちろん分かっているつもりでした。だけれども深いところでは人に貢献(ヒーリング)できていない私には価値がない自己ヒーリングより、人にヒーリングすることだけが達成感を感じられるからセッションすることに重きをおいてしまうそして、セッションをしていくにはヒーラーとして問題を抱えているような人ではありたくないと言う思いから、自分を見たくないそれが自己ヒーリング出来ないことに繋がっていたとは思っても居ませんでした。そして、その自己価値がインナーチャイルドとカルマから来ていたと教えていただいたときいつも視えている3歳くらいのインナーチャイルドがまた目蓋に浮かびました。これまでも何度も何度もその子が視えていましたので何度も何度も会いに行っていました。その子は実家の玄関前にいつも立っていて玄関前に居ることは分かるんだけどその子からは庭は見えていなくて周りはグレー一色の世界でした。周りを人(親などの家族)が行き交う様子は感じるけれど誰にも声をかけられず、いつも一人でした。何度も会いに行っては、大丈夫だよ、安心して良いよ、私が守ってるからねとハグしていたのですが、次に会いに行くとまた一面グレーの世界に一人でポツンと立っているのです。どうすればこの子が安心できるのかとずっと思っていました。3歳の子供が、誰にも相手にされず放っておかれているのです。寂しくて寂しくて自分の価値なんて感じられるはずがないですよね。でも、その時セッション前日にあった孫の七五三の様子が目に浮かんだのです。3歳の孫は、本当に愛らしく撮影を見ていた周りの人々からも可愛いねぇと言われたり微笑みを誘っていました。あぁ、存在するだけで生きているだけで価値があるってこのことかと腑に落ちたのです。3歳くらいの私は、誰にも愛されていないと自己価値を感じられていなかったけどそれは思い込みで、両親は忙しくてたいして相手にしてくれなかったけどでも優しくしてくれていました。父は時おり厳しかったけれど両親はいつも愛情深く接してくれていたなぁと思います。生前は苦手だったのですが父の目を思い出すと慈愛が溢れていたことを感じるのです。勉強して良い大学にはいり良い就職をしていい人と結婚することを望んでくる父が苦手でした。それは、父からの要望に応えられない自分がほとほと嫌になったからなのですが父の要望の真意は、幸せになってほしいだと気づいたのは本当に多次元を学んだからと言っても過言ではありません。両親はいつも私の幸せだけを願ってくれていたのだとここにきて分かってきました。なかなかインナーチャイルドを癒せなかったけど今回やっと生きているだけでここに存在しているだけで私は十分なんだと、やっと思えました。だからこそ、今ある命を大切にしてやがては可能性を拡げてもっと楽しめるように自己ヒーリングを楽しめるようになっていこうと思います。そう思えたから、マルデュックやマーカビアンも抜いて良いよと、身体が許可してくれたのかな?そう許可してくれた身体に感謝して自分をもっと大事にして運動もして(笑)自己ヒーリングしていこうと思います。昨日、インナーチャイルドの3歳の子がどんな様子か見に行きましたらいつもいる実家の玄関前には居ませんでした。癒されて、満足したように思います。そうです。ずっと私のなかにあったのは孤独感でした。私は人に好かれない誰も私に興味がないという思いがずーっとありました。振り返るとその孤独感から人に嫌われることを恐れ見放されることを恐れていました。しかもこの恐れがあったからこそ人と深く関わることも恐れていた私。だから、人々から忘れられてしまうことが怖かったのですね。そこら辺の執着が無くなったような気がします。レディナダのくださった言葉通りここから自由になり自分をさらに、大事にしていきます。きっと天に還ったあの孤独な子も見守ってくれると思います。今は、以前にもまして気持ちがゆったり安らいでいます。焦りがなくなりました。本当にありがとうございました!この方の根底にある孤独感はカルマとインナーチャイルドから来ていました。ここに書かれてあるように彼女は、これまで何度もそのインナーチャイルドを癒そうとしてきてもちろん、その度に癒しは起こっていたのですが根底にある孤独感がなかなか抜けなかったのは深い孤独感と無力感の中、亡くなった過去生での想いが残っていてその想いとインナーチャイルドがつながっていたからでした。今回のセッションで最も印象的だったのはインナーチャイルドとカルマを癒す時にレディナダが現れた時でした。え?レディナダ ?と、もう一度確認したぐらい私自身のヒーリングではそれほど頻繁には現れないマスターなのですがその圧倒的な愛のエネルギーで思わず、号泣しそうになるのを抑えながらレディナダから彼女へのメッセージを受け取りました。そして、さらに感動したのが彼女がセッション後に伝えてくれたのは彼女は、これまでも何度もレディナダ からメッセージをもらっていたのだそうでだから、この日の私のセッションでレディナダが現れてくれたことで本当にレディナダがいつも見守ってくださっていることを確信されたとのことでした。さて、ここでいくつかの補足説明なのですが「運動は足りていませんよ」と私がお伝えしたのは実は、彼女にとって健康回復のために運動が大切だからではないのです。例えば、糖尿病など、食事や運動習慣によって病気になったりするものもありますが彼女の病気は精神的、エネルギー的なストレスからであって食事や運動が要因ではありませんでした。では、なぜそれをわざわざお伝えしたかと言うと、彼女が「私は、食事も気をつけているし運動もしっかりしているので」とセッション中に、何気なく言った瞬間に筋肉の反応があったからです。対面セッションでは私は常に、その方の腕に触れているのでその方が何かを言った途端その人のその言葉に対する無意識での反応が腕から伝わってきます。なのでえ?どう言うこと?と改めて身体に聞いてみると出てきたのは「自分を誤魔化す」「達観する」というワード。実際には、彼女は食事は気をつけているが運動はしっかりしていない。でも、そうやっていつも、適当にいいように考えて誤魔化す傾向があるとのこと。それが、マルデュックの思考パターンであって自分の問題を見ない自分は大丈夫と達観してしまう性質なのです。ですから「運動はされてないようですよ」と、わざわざお伝えしたのは運動自体の問題よりも(もちろん、ある程度の運動は大切ですが)この方が持っている無意識の思考パターンに気づいてもらうためでした。人に必要とされたい、という無意識と自分のストレスは感じないで達観してしまう脳の思考パターンそれが、無意識に無理をすることにつながって結果的に病気になってしまうのです。そして、その根底にあった深い孤独感。レディナダから見守られている彼女は本来は、そこに存在するだけで周りに癒しをもたらしてゆく存在であることこれから、さらに彼女自身の自己愛を高めてゆくにつれてその光は、増してゆくように感じています。お〜久々に「どうでもいい話」じゃなく「どうでもよくない話」(日本語変?)をアップした気が’するわ〜🤣