もったいない
数年前でしたniftyの掲示板で知り合いになりオフ会でもお話しした知人から1通のメールが届きました。それには、後に出版され、さらに有名になった「もしも世界が100人の村だったら」の内容が書かれていました。この話は私の心の奥に響きました。また、数年前のこと、様々な技能を持った方たちがアフリカなどの国々を訪れ、現地の子供たちと触れ合いながら、その技能を伝えると言う番組がありました。例えば、その一人はプロのカメラマンであり、他の一人は、紙きり芸人の方だったりしました。その時、感慨深かったのは、寄席で紙きり芸をしている方がアフリカの学校で小学生に紙きりを教えると言う内容でした。その学校ではノートの代わりに石盤が使われていました。教師は「この国では、切るだけのために使う紙はありません。紙は、とても貴重品なのです。」とスタッフに告げます。番組では、そのため、急遽、樹木から手漉きで紙を作る作業から始め、紙を漉き、作った紙で、紙きりをして動物を作ります。ここで感じたのは、私たち日本では、フリーペーパーに象徴されるように、折込広告、ダイレクトメールの広告紙に至るまで、紙は「タダ」だと言うことです。ところが、世界には、まだ、この紙すらも貴重だと言う地域があるのです。さて、ケニア出身の環境保護の女性活動家で、環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞した人物でもあるワンガリ・マータイさんは、2005年2月 に京都議定書関連行事のため、ある新聞社の招聘により日本を訪問され、その時、同社編集局長とのインタビューで「もったいない」という言葉を知ります。 その折、日本人が昔持っていた「もったいない」の考え方こそ、環境問題を考えるにふさわしい精神として感銘され、その年2月17日に,当時の内閣総理大臣・小泉純一郎氏と会談した際、「もったいない」を世界に広めたいと初めて言われました。 そして3月には国連女性地位委員会で出席者全員に「もったいない」と唱和させたりするなど、世界へこの語を広めようとされています。 このところ、様々なグループの方との交流が始まり、「宴会」に出席することが増えました。その都度私が感じるのは、食べきれないまま放置され残飯となる食べ物の多いことです。私たちプロジェクト8の宴席でも、食べきれないケースがあったために、最初から料理は多すぎず少なからずぐらいの量のコースを頼むように心がけています。・・・・・が、それでも少し残ります。よく祖父母の世代の方は、戦中の食糧難を経験されていましたし、戦前の日本は豊かではありませんでしたから、宴会の料理は「折詰め」にして持ち帰ったものです。これは「もったいない」の精神にかなった、日本の文化だとも感じます。しかし、現在の日本で、これを当たり前とする店も少なければ、そういう精神も尊ばれなくなりました。大量生産・大量消費の文化は、人の心を貧しくし、その影響は今なお「もったいない」の精神を奪おうとしています。最近参加した宴会の折にも、大量に残された料理を目の前にして、もしこれが当たり前だと皆が思っているとしたら、それは、とても恐ろしいことではないかと感じた私です。