おかまのケンちゃん
20代の初めの頃、よく先輩に新宿2丁目に連れて行ってもらった。その先輩は男で、しかもとびきり美しい彼女もいたのだが、何故かゲイバーに飲みにいくのが好きだった。彼と、もうひとり日本人なのにハーフに間違えられるようなバタ臭い顔をした男の先輩と3人でよく飲みにいった。(男女関係はつゆほどもなし)とうぜん、この二人はおかまにもてもてだ。私のように、美しくもない、気も利かない、まぐろのようにころっとしたチビな女が彼等にくっついてくるものだから、思い切り「彼女」たちにじゃまにされた。何故私がいつも誘われていたか、当時は謎だったが、今思えば、思い切り酔っぱらって深夜のタクシーで寝込み家になかなかたどり着けないのを未然にふせぐため、同じ方角に住んでいる私が「選ばれた」ようだった。いつもおかまに目の敵にされるので私はあまり面白くなかったし行きたくもなかったが、この先輩たちはなかなか恐しく、「行きたいの?行・き・た・く・な・い・の?あ、そう。行きたくないんだな。」とすごまれると、小心者の私は「いえ、喜んでおともします。」などと心にもない返事をして、結局薄暗いゲイバーの隅で、アタリメにマヨネーズをつけてはしゃぶってやり過ごしていたのだ。ここのママはケンジ(仮名)といった。最初の頃は私に非常に冷たく、「あーらあ、いらっしゃああい。ま、何よ、また来たのね、このチビの小娘。」などと疎まれ、私がカラオケを歌うと「きゃあ、すてきー。早く終わって良かったわ、フン。」などといじめられていたものだが、そのうちママもこの小娘の存在に慣れたようだ。私の顔をしげしげと眺めては、「あんたのその化粧。ほんっっとに手抜き。マスカラぐらいつけなさいよ。」「ちょっと、小娘。こっちおいで。あんたはこういう色の口紅の方が合うのよ。つけてあげるから。」などとかまってくれるようになった。ところでおかまのエンターテイメント精神というのは素晴らしいものがあるのだ。客を喜ばすためだったら一肌も二肌も惜しげなく脱ぐ。たまにはパーティをやって、思い切り騒ぐ。じゃまっけな小娘ともそのうち一緒に遊んでくれるようになった。ひと頃は週に2回も通ったせいか(しかも明け方まで)睡眠不足と不摂生で荒れたお肌を気にしてくれ、パックの試供品やら、お肌の手入れ法の伝授やらまるでお姉さんのように優しくなった「彼女」たち。そのうち、店以外でも何度か会った。私が何かを買いにいくのにけんちゃんママ(仮名)がたまたまつき合ってくれた時だったか、(もちろん先輩も一緒。奴は先輩に下心があったからだ)明るい日差しの下で、スッキリとポロシャツとチノパンで現れた彼は、普通の好青年にしか見えなかった。普通にみればなかなかハンサムな人だったし、おかまには見えない。ひとこと話し出すまでは、だったけど。お昼を食べて、いろいろ話した。いろんな身の上話も聞いた。出来過ぎな話だったので、「話作ってるな、こいつ」とも思ったけど、おかまなりの人生もいろいろあるな、と思った。そのうち、私にもカレシができて、どんどん忙しくなり、足が遠のくうち、いろいろあって店を畳んだという話を聞いた。あれからどうしたのか。私の先輩もいろいろあって、どういうわけか六本木にゲイバーを開いたのだ。ストレートだったはずなのに、どうしちゃったのか。遊びに行ったらとても喜んでくれたが、そのうち、借金取りに追われているという噂を聞いた。何年か前に映画で『 To Wong Foo,Thanks for Everything! Julie Newmar』という、3人のドラッグクイーンが旅の途中の田舎町で過ごすという話があったが、この映画を見た方もいるだろうか。ウェズリー・スナイプスがドラッグクイーンの一人だったやつだ。 個人的にはかなり笑えたし、楽しめた映画だったけど、あれを見た時に、ケンジママ(仮名)と先輩と、そこに集っていた人々の事をいろいろ思い出した。今はもう立派なおやじのはずの彼ら。今頃どこでどうしているんだろう。本日の献立:チキンヌードルスープ、バターロール、サラダ、柿