終戦記念日に寄せて・・・
月見草 別名待宵草今日は月曜日だからマロ君とのお散歩日だワンいつも僕との待ち合わせ場所までは何とか歩いて来るマロ君もここで歩くのはお終いで、道路に張り付き抱っこちゃんなのだけど・・・?今日はその後も自分の脚で歩いたのだワン!!マロ君が優等生散歩をすると必ずお天気がおかしくなると言うジンクスが心配だったけど、その後雨も降らなければ台風もお出でにはならないワン本当はあまりにも暑いのでこの辺で大雨でも降って少し涼しくなって貰いたいのだけど!尤もお散歩とは自分の脚で歩くものだから取り立てて言うのはおかしいのかもしれないけれど、毎朝林までは必ず抱っこで、ここに到着しても煽てたり宥めたりしないと中々歩き出さないマロ君が最初から自分の脚で歩く事など何日ぶりかしら?いえいえ、何ヶ月ぶりかしら?僕がマロ君のお尻をクンクンしてみたら今日はお腹が空で軽そうだったワン?ママさんは早速マロママさんにダイヤ放出具合を聞いて見たよ~珍しく特大ダイヤを放出済みとのとのこで、お腹が軽いから自分の脚で歩く気になったのだと思うけどネ~気紛れマロ君の事だから明日のことは全く想像も付かないけれど?毎朝お会いする出勤途中の方やウォーキングの方々は、いつも抱っこちゃんのマロ君を見て居るので今朝はどうしたのかしらと奇異の目でご覧になったと思うよ本来お散歩とは自分の脚で歩くのは当たり前で、抱っこちゃんがおかしいのだけどネ~先日広島と長崎の「原爆記念日」を迎え今日は66回目の「終戦記念」日である。あれからもうそんなに年月が過ぎたのかと思うのである。当時国民学校の生徒だった私は東京の自宅の池に焼夷弾が落ち、命からがら避難した事を今でもはっきり覚えている。現在までの間には様々な事があり、楽し事や嫌な事など思い出は尽きないのだが、何故かあの日の事だけは何年経っても鮮明に思い出す!降りしきる火の粉の中、紅葉山公園の方へひたすら走ったのである。途中で見も知らぬ方から乾パンを頂いたのだがその嬉しかった気持ちもありありと浮かんでくるのである。この時の事と数日後一面の焼け野原になった自宅へ行った時の事も忘れないのである。本当はあのような嫌な思い出は全てを心の中から追い出したいのだが、多分一生消えることは無いのだろう~あまりにも強烈な出来事だったので、体中に焼き付いてしまったに違いない!戦後の食糧難のこと等は今にして思うと何故か懐かしくも感じられるのである。現在は食べる物が有り余っているので誰もが贅沢になり美味しい物だけしか食べない。平気で食べ物を捨てたりしているのだが、考えてみると実に勿体ない!美味しい物を食べるのではなく、少しでもお腹の足しになれば何でも良かったという時代を過ごしてきたのだが、こう言う私自身も現在の食生活は呆れるばかりである。日本の社会は安定しているので食べる事には事欠かないが、世界中では相変わらず戦争のような事が続いて居る所がある。多くの難民達には十分の食料が行き渡らない。例えば数時間を過ぎたハンバーガーが売れ残るとそのままゴミとして廃棄されるのだが、日々の食べ物にも事欠いている難民の元へ届けられたらと思ってしまうのである。戦後間のない頃には「敗戦記念日」という感じだったのだが、いつの間にか「終戦記念日」になり、全く戦争を知らない世代には無関係?と思って居る人さえ居るようである。あの戦争体験者は年々高齢化していき人々の脳裏からは消え去っていくのだろう~平和であることがどんなに幸せで素晴らしい事なのか、これからの社会を背負っていく若者には十分に理解して貰いたい!どんなことがあっても戦争をしてはいけない!平和な世界を築き上げて行くのは若者の義務である。この時期にはあちらこちらに月見草別名「待宵草」が咲いて居る。多分戦時中も終戦後も野原にはこの待宵草が黄色の花を咲かせて居たのだろう~blog1000flowers