18 傷だらけの百名山
百名山の荒廃ぶりは何度か耳にしたことがある。人が集まることは悪くないが集まりすぎることで、自然環境に負荷をかける。地元の経済は更に人を集めて利益を生むことだけに腐心し、自然があることで人が来たことを忘れ、自然を壊して人が集まりやすい環境をつくろうとする。ここに描かれている多くはそんな事例だ。第1章 大雪渓と花畑の陰で-冬季五輪に揺れる白馬岳-第2章 悲しいほどに破壊ラッシュ-八ヶ岳が山でなくなる日-第3章 憧憬と幻滅-狙われる白山-第4章 滅びゆく霊峰-富士に開発は似合わない-第5章 槍ヶ岳は見ている-三俣山荘と山の分割・民営-中部山岳地帯の高山地帯に所属する長野県に百名山は多い。深田さんの百名山が命名されて何年になるのか知らないけれど、ワタシがその名前を意識しだしたのはこの2,3年。山に登ることのなかったワタシには百名山は特に意味を持たない。ワタシの思いに関係なく百名山を中心とした破壊はすすんでいた。自分自身、山に登る時に百名山だから登りたいと言うことはないけど、山の話をするときに「百名山」や「花の百名山」という名称を使えば、相手に話が伝わりやすそうだということで使うことがある。百名山に選ばれたから破壊が進んだのか、そうでなくとも日本人は美しい山々を破壊に導いたのか。■加藤 久晴著 発行:リベルタ出版 1994.6.10 \1,854