絵本「100万回生きたねこ」・・・前世について想ふ
中国のお正月が終わってもまだ工員さんたちは5分の1くらいしか戻ってきていないようで、最近は商品の入荷もなく、のんびりとした職場です。この時期、いつも書類の整理をするのですけど、これってずーっとやっていると飽きてきます。1年分くらい貯めているのでせっせと片付けないといけないんですけどね。のんびりモードなるとすべてがとろーっとしてしまうのか最近のワタシのブログも行間スカスカだったりしてますね(^^)忙しい時の方がたくさん書いているかも?先日、新聞で紹介されていた「百万回生きたねこ」という絵本を立ち読みしました(^^) とてもいい本らしいので買おうかなあと思ったんですけど、まず下見、とパラパラと書店で全部読んでしまいました。1977年初版で現在92刷とあるのでロングセラーなんですね。(ネタばれ注意です!)そのまんま100万回生きたとら猫のお話なんです。王様、船乗り、サーカスのマジシャン、おばあさん、どろぼう、女の子などに飼われた前世があってどれも飼い主のことはそんなに好きじゃなくて戦場で矢に当たったり、マジックの失敗などで死んでしまうのですけど、猫にとっては死ぬことは大したことじゃなかったんです。そしてある時、野良猫に生まれてきて、誰のペットでもなく自分の人生(猫生?)を生きようとするんです。ま、100万回も生まれ変わっているものだから、そのことを他の猫に自慢するんですが、唯一、白いメス猫ちゃんだけはそっけなく「そう」と返事するだけでした。でも、とら猫はその白い猫が好きになって「そばにいてもいいかな?」と頼んだら「いいわよ」と受け入れてもらってかわいい子猫たちを授かるのです。でも時がたち、子供たちも巣立ち二人(二匹?)きりになってもふたりでいることがとても幸せなのでした。しかし、最愛の白猫ちゃんは死んでしまいます。とら猫は悲しくて100万回も泣いてずっと一緒に生きていたかったと嘆くのですが、自分も死んでしまいます。そしてとら猫はもう生まれ変わることはなかった・・・というお話です。日曜日には教会へ通っているのですが、クリスチャンに「人は生まれ変わらないの?」と聞いたら人間は1度きりしか生まれてこない、という答えだったんです。ワタシは前世はあると思うし、そういう事例もたくさんあるからその点については同意できないのです。それにたとえクリスチャンじゃなくてもすばらしい人はいるからそういう人が天国に行けないというのも腑に落ちなくて。十字架のイエスキリストを信じることで救われるというけれど、じゃあ旧約聖書の時代だったらどうやって死後天国に行くことができたのかしらん?などとも質問をしたことがあります。だから生まれ変わりはあるのじゃないかな~というか神様はとても優しい面があるから、敗者復活戦としての生まれ変わりを用意しているのじゃないでしょうか?でもね、「やりなおしはきくよ!」って大々的に言うといい加減に生きたりして甘えてしまうからそれは公にしてないのでは?「百万回生きた猫」を読んで大げさですが本当の「愛」ついて理解できたらきっと本当に生きたのであって、もう生まれ変わってくる必要はなくなるのかもしれないと思ったのです。だからよきクリスチャンとして生涯を終えたらたぶん生まれ変わらないのかな~なんて考えたりします。何にしても、実際に見てわかることではないけれど・・・こんなことばが聖書の中にありました。「目が見たこともないもの、耳が聞いたことがないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(1コリント2-9)