「シーソーゲーム」Mr.Children
中学生の頃の私は歌ばかり歌っていた。休み時間、昼休み、放課後。女子からは「うるさい」と言われることも。どこにでも居る、痛い子だった。中学3年生のとき、クラスの誰かが早朝ボウリングに行った、という話をしていた。当時から好奇心の塊だった私。中学生だけでボウリング。すごい、行きたい。ということで、仲間を誘って早朝ボウリング同好会を結成した。その第一回、場所は埼玉県新座市。私が住んでいたのは東京都練馬区だったので、自転車で50分ほどかかる。早朝ボウルは5時から受付が始まるので、4時に家を出なければならない。(別に5時きっかりに受付をする必要もないのだが・・・)中学校前で待ち合わせて、出掛ける。午前4時に外に居るなんて、何か悪いことをしたような気持ち。誰も居ない薄暗い道。空は黒が青紫に、にじんでいく。自転車を漕ぎ出す私たち。ココロが踊るような、それで居て、後ろめたさもある。「これが冒険てやつか・・・」とにかく、この感情を・・・。大声で歌うことにした。「恋なんて、いわばエゴとエゴのシーソーゲーム!」その道中では光をほとんど遮ってしまうような巨木の並木に恐怖を感じたり。軽トラックを運転する高校生(ひょっとしたら中学生だったかもしれない)にからまれ、恐怖を感じたり。恐怖を感じてばかりだが、とにかく色々なことが突発的に起こった。そしてそのすべてに新鮮が詰まっていた。気持ちよくて、ワクワクして、楽しかった。気持ちを抑えられなくて、大声で歌うことしか出来なかった。まだ、私には気持ちを抑えることも、上手に表現することも出来なかった。この頃の自分はまだ、ミスチルの持つ、高いメッセージ性が理解できなかったように思える。ただただ、「何か気持ちのいい歌、何か落ち着く歌」そうとしか表現できなかった。今もだいぶ感覚的に生きているが、もうあの頃のような感覚に戻ることは出来ない。少なくとも午前四時に渋谷をほっつき歩けるような人間には。以上