学校からお呼び出し!
子どもたちの小学校から「夜7時集合」でのお呼び出しだった。呼ばれたのは、うちを含む6親子・・・案件は、「いじめ問題」です。2週間ほど前の雪の日に、6対1で雪球ぶつけて、一人の子にケガをさせた・・・という事件があり、その6のうちの2がうちの子であるという情けなさ・。。その日のケガをさせた直接の当事者ではなかったので私の問題把握が遅れていましたが、2クラスの担任と親と子で「どうしてこのようなことが起こったのか、その背景は何かを話し合う。この問題はすべてこの日に解決し終わりとする」というものでした。この雪の日だけではなく、ずうっと前から、とにかくこの子をかまう、ちょっかい出す、などなど「いじくる」んですね。嫌がっているからやめろ、と先生や親が何度言っても続けていたということですが。私たちが知らなかったもっと悪質なことも、露見しました。「頭をたたく」「おなかをたたく」「プロレス技をかける」「首絞める」おいおいお~い!なんでなんだよ!しかも、「悪意」ではない、という悪意に本人が気づいてないところ。「なぜやるのか」ということを聞かれてなかなか答えられなかった子どもたち。「かわいいから」ということを言う子がいましたけど、おそらくそうでしょう。かわいい、嫌がるのがおもしろい、というやったほうからみたら「軽い気持ち」。でもそれが当事者にとってどんなに不愉快、苦痛、怖いことなのか、「相手の気持ちになって考える」思いやりの欠如。また、友達が誰かやっていることに対して、悪いことと思っていても止めないで同調する・・・・これってとても怖いことです。「野ブタ。をプロデュース」を見てたのに、そんなこともわからなかったのか、と思うとがっくりです。一人一人自分がなぜそういうことをしたのか、これからどうしたらいいと思うかなどを話すことで、自分の気持ちに少しは向き合うことができたかと思うのですが、もっと「ハート」に届く教育を、親としてやってこなかったことを悔やみました。先生が話していましたけど、「弱い」一人をターゲットとすることで、「強い」立場のものが同調的に結束力をもってしまう。しかしその「ターゲット」がたとえばいなくなってしまうと、次に誰かがターゲットになることはよくあることだと。そのとおりです。同調は友情ではないからね。声の大きいものに同調する(うちのは主犯にならず同調するタイプ)のはもっとも卑怯なことだと思う。「それはいけないことだ」と異を唱えることができない、かわいそうだと思っていてもやってしまう、自分の主張ができない・・・・これらが今のこの子達にとても顕著なんですね。いやいや、子育てはまだまだ課題が山積です。話し合いは夜9時半過ぎまで続きました。めったにないことだと思いますが、有意義な機会を与えてくれました。