サクラ、そして盛者必衰
『吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき』桜前線たけなはのこのごろになると、吉野の桜を見てからは心が体からから離れて飛んで元にもどらなくなってしまった、という、西行法師のこの歌が想いおこされる。いまの日本の桜の八割方はソメイヨシノが占めているそうだが、その歴史は比較的新しく、江戸末期から明治初期にかけて染井(今の東京・駒込の染井霊園のあたり)に住む植木職人が交配して作ったものだといわれている。それ以前は、桜といえばヤマザクラが代表的な存在であった。西行法師があこがれたのも、むろん、ヤマザクラであった。薄茶の新芽の間にちらちらと咲くヤマザクラには、妖艶なソメイヨシノとはまた違ったかれんさがある。吉野の桜のように一目千本とはいかないまでも、子供の頃か見慣れ親しんだ近郊の山の中にあちらこちらに咲くヤマザクラも、また、心を奪わるものがある。このヤマザクラの咲く頃を鋏んだころから、やまぶきやわらび・ぜんまいなどの春の山菜、そして、うど・タラの芽・たけのこなどの初夏の山菜の季節である。花よりだんごというより、花もだんごも…美しくて美味しい季節の到来である。平清盛と同年に生まれた西行法師は、源平合戦のさなかに生き、まさにその目で盛者必衰の無常をみてきた。晩年、時の権力者、源頼朝の招きで一夜語り明かすが、かっての北面の武士、祖先に鎮守府将軍、俵藤太秀郷を持つ名門の西行に対して、頼朝は兵法の道について教えを乞うたが、西行は答えて曰く「心底に残留せず、皆忘却して了おわんぬ」。全てを忘れてしまったというのである。桜とともに散りそめた、とでもいうところだろうか・・・俗に言う「権力者と社会的強者」たる人々にだけは、「心底に残留せず、皆忘却して了おわんぬ」とは言って欲しくないものである。よろしければ『ポチーッ』とお願いします。