『シュルレアリスムとは何か』
見出し:シュルレアリスムとは何か。巌谷国士著『シュルレアリスムとは何か』(ちくま学芸文庫) 書評のタイトルには、あえて書名を付さず、キャッチコピーで内容に興味を持ってもらうことを信条としてこれまで記事をアップしてきた。しかし、である。この一冊は、そのものズバリなのである。というのも、これほどタイトルと内容が見事に合致した本はそう滅多にないからである。事実、結果として記事のタイトルと書名が一緒であったからこうなったのであって、もし仮に書名が違っていたとしても、私は書評のタイトルに、躊躇うことなく「シュルレアリスムとは何か」とつけたことであろう。 話し言葉で綴られ、教科書的展開であるとはいえ、だからこそ、誤解や早合点をしがちなシュルレアリスム理解の基礎を、順序良く整理立てて、分かりやすく説いてある。 私自身が、結局リアリストだから、シュルレアリスムのことはある程度、感覚的には分かっていたのかもしれない。というのも私は何につけ、現実との連続、必然的接点、リアリティがないものには主義だからである。夢と現に、時間軸的な、あるいは生体的な境目はあっても、実存的な意味での生から見た場合には切れ目はないように、私がロマンティシズムへと傾斜するときも、別世界への没入ではなく、実世界の連続としてのめり込んできた。つまり、シュルレアリスムの何たるかを知らずに、心のどこかでは分かっていたと言うことである。いや、ある意味では、これまでの生き方そのものが、真の意味でのシュルレエルだったと言えるかもしれない。 日本で使われるシュールという表記そのものの誤謬の言及は興味深い。「シュール・レアリスム」では、「シュール」と「レアリスム」のくっついた言葉になってしまうから、語感から現実離れした異様な世界をイメージしてしまうが、もともとは、もし切るとすれば、「シュールレア(エ)ル」と「イスム」なのである。「シュール」が「レエル」にかかっているのではなく、「イスム」に「シュルレエル」がかかっているのである。 もともと、語の作りから、それが英語でいうsuperrealであることももちろんわかっていた(フランス語は解さないが)。つまり、著者が指摘するように、超現実は、現実とはほかの場所にある世界だという意味とは、私は思っていなかった。これは、心理学を学ぶ際には、スーパーエゴ=超自我という言葉に出会うが、この“超”の使い方とシュルレアリスムにおけるシュルレエルに近似しているということを既に知っていたからである。 著者曰く、日本では辞典ですらシュールの意味を間違えているというから、気をつけたい。これからは、シュルレエル、もしくはシュルレアリスム、と切らずに表記しなければ、せっかく意味を知っていても、知らないのと同然になってしまう。(了)シュルレアリスムとは何か