『もんじゃ慕情』、ついに終了~煙の宴のあとに~
長きにわたってお送りしてきました、東京下町は月島のもんじゃ屋さんめぐり、“もんじゃ慕情”。一人暮らし時代の食べ歩きメモが引っ越しの段ボールから偶然に発見されたのをきっかけに、ノスタルジックな想いと、メモのデータベース化(そう、データベース化の話は当時から周囲に催促されていたのでした)をしたいという気持ちから、この連載はスタートしましたが、それもとうとう終了となりました。 振り返ってみて、とにかく飽きもせずによく通ったものだ、という達成感。なにしろ、もんじゃ屋さん通いが過ぎて、当時着ていた服はみな、もんじゃの匂いがこもってましたから。特にダウンジャケットとか。 そうした達成感とは別に感じたこと、それは、これだけ単純な料理を、どこのお店もよく工夫して、まさに“何でもアリ”なバラエティでもって、サービスしているというそのクリエティビティの高さ。チャレンジ精神とも言えるでしょうか。 一般には、“古き佳き下町”と呼ばれるエリアで、昔ながらの人情や伝統を守りつつ、すでにあるものを使って新しい勝負に打って出る。こうした営為に、まさしく人間の持つエネルギー、たくまさしさを感じてやみません。事実、私が引っ越した直後、界隈は“もんじゃストリート”と呼ばれ、地域の再開発と戦ったり折り合いをつけたりしながら、一時華やかなスポットになったものです(地元の方は“もんじゃストリート”という呼び方を好んでいませんでしたが)。さらにその後は、一年間も私の睡眠を妨げた工事が終了し、大江戸線が開通。便利なエリアとなりました。そのエネルギッシュな保守と変貌の様は、“月島ルネッサンス”と呼んで差し支えないでしょう。 さて、その後も何度か懐かしくなって、あるいは友人知人に「マエストロ、いつもの“もんじゃ焼きの腕前”見せてくれよ」とおだてられて、月島のもんじゃ屋さんを訪れたものですが、何故でしょう。特別な感情が何も生まれないのですね。完全に、外から流行りのメニューを食べに来た人の気持ち。 たとえ一年間とはいえ、その場所で暮らし、その場所を象徴する食文化を追い続けているうちに、いつの間にか“もんじゃ焼き”という食べ物を、彼らと同じ目線で愉しみ、味わっていたのかもしれません。だからこそ、評価にも辛口になった。顔なじみのお店もできた。ちょっと一品、でも気安くのれんをくぐれた。 勝ちどきを離れ、月島を離れて“余所者”となった今、当時鉄板のごとく熱していた自分の内の何かはすっかり冷えきってしまい、それは同時に私が新しい居場所を見出したことでもあり、そのかわり当時の居場所を失ったことでもあるのかも知れません。 何かの終焉には喪失感が伴うもの。あのとき、もんじゃ焼きの煙と匂いと熱気の中に、確かに私はいました。今は、そのすべてを失ったのです。振り返るという行為は、何を得たかを知ると同時に、失った何かに目を啓くことでもあるのですね。(了)*長い間おつき合い下さった読者の皆様、ありがとうございました。*一連の店舗評価は、私の独断と偏見によるものです。また、この評価は98年時のもので、現在の評価と同じではありません。“月島の現在”は、どうぞ読者の皆様の舌で確かめてみて下さい。