18才
姉の友人の一人に深窓の令嬢がいた。彼女は、本物のお嬢様で、ちゃらちゃら銀座の和光に出向いては、あのころの1万円は、今の10万円の感覚であったが平気で、数万円の買い物をするのでした。彼女は、W大の仏文科だったから、私にもたまにボードレールの詩なんか読んでいただいたことがあって楽しかった。1950年代の終わりでも、おいしい物がまだまだ無かった時代だったがチャーハンとか、スパゲティーなどの食べ物が新しく巷に出回り始めていた。女子大生は、いつもお腹を空かせていたが、ある日、おいしい食べ物の話になった。私の父が、もう、おいしい物は食べつくした気がするから、それほど、おいしい物を食べたいとは思わなくなったと言ったことを思い出してうっかり話題にのせた。くだんの彼女は、「あら?お父様は、パリで、フランス料理のコースを召し上がって?」と即座に詰問。「それを食べていらっしゃらないで、そんな事をおっしゃるなんて・・・」と、スパリと切り捨てられてしまいましたとさ。まだ、日本では、外国に自由渡航ができない頃のお話です。