読まなくていいですから、スルーしてください。
つらつら思うに、2012年の春が来れば、私達夫婦は、金婚式だ。結婚50年も経つのか~~~と、今更ながら、驚いてしまう。よくぞ、我儘者の私が、夫と一緒に生きて来たものだな~と感慨深く思う。若い頃は、いつもほんの些細なことで腹を立てもう、こんな人とは、一緒に暮らせない、別れてしまおう、別れます、出て行きます、子供を連れて出ます、ひとりでやって行きます、などと何度も思った。しかし、私がいなくなったら夫が悲しむだろうな~とか、両親が悲しむだろうな~等と思えばやっぱり、その言葉は、一言も口には出せなかった。こころの中で葛藤しては、気を取り直し、やっぱり落ち着くところに落ち着くのだった。どんなに腹をたてても、原因と来たら、あほらしいほど、些細なことばかりだったので夫は、まさか私が、別れようなどの思いを抱いている事などに考えが及ばないようだった。私を信用しきっていたのか、たかをくくっていたのか、まあ、どちらも本当だと言える。また、夫はがまん強い、ねばり強い男だったから、私のすねた態度にも、じっと嵐が過ぎるのを待っていたのだろう。夫が気が付かないふり?なので、私はひとりで考えたり悩んだりしたけど、やっぱり、思い直して、一緒に暮らすことを選ぶのだった。41才の時だった。ある日、とても晴れた空を見上げた時、忽然と「ああ、私にはもう、決して、一人で自立する運命に身をまかすことはできないだろう。そんな逞しさは、持っていない」と、コトリと得心した。そして、これからは、どんなことがあっても夫を捨てようとか、別れて暮らそうとか、自分の好きな生き方をしようとか思うまい。夫と肩を寄せ合って助け合って、ただ真っ直ぐに、一途に、生涯共に生きて行こうと、心底胸に誓ったのだった。自分ひとりの誓いだった。それは、何か事件があったからでも、誰かに言われたからでもなく、ただ、青い空を見上げた時に、忽然と思ったのでした。と、かっこよく決めたけど、反省していることがある。50年間私は夫を幸せにしてあげられたかということだ。私という女は、実は、自分がしあわせになることばかり考えてきたように思う。(私のように若くて、可愛くて、良く気がついて、元気で、何でもできて、助けになる人間は、そうそういないわよ)言葉には出したことはないけれど、内心はそう思っていた。↑(自分で言うな~^^)ずいぶん無理をしてがんばり、夫を助けているつもりだった。私達は、常に子供達の為に大真面目にがんばって来たけれどあまりにもたくさん夫婦の犠牲があったように思う。何か、人生を楽しんだだろうか?人生を面白がってきただろうか?私は、夫をしあわせにしてあげたのだろうか?そんなことを、今、じっと考える。いつも、夫の言う事する事をじっと見ていて、「それは、違うは、あれは、2年前のことよ!」とか、「そういう事を言ったら、プライバシーの侵害です!」とか、「そんな(クダラナイ)物を買ってどうするの?」とか、「そういうことを書いたら、著作権の侵害になるから!」とか、小癪にも、さかしらぶって、あれこれ言い過ぎたと思う。車の中ではいつもぷりぷりしている私。自分はそちらの方向に行くと思っているのに全く正反対の方向に行ってしまう夫に、腹が立つのだ。もっと泰然として、すべての道はローマに通じるさ と思い、夫を信頼してもよさそうじゃないか。私は50年間夫に本当の自由を与えていなかったような気がする。いつもひっついていて、つまらない小さな事に黄色いくちばしを入れたような気がする。どれだけ、小うるさい存在だっただろう。それに私はどういう訳か、夫がひとつの小さな提案を出すと即座に「それは、だめよ」と、あっと言う間に否定のこころが湧く。ちょっと考えれば、私も、同じ結論が出そうな件でさえ、なぜか、すぐに否定の意見が湧くのだった。私は夫を不幸にしたような気がする。夫は、もっともっと幸せや自由を感じて生きてもよかった筈だ。最近の私って、すごい。何でも、夫の言葉には、「あ、そうなの」と言うこころの準備をしている。「じゃあ、そうしましょ!」と言うこころの準備をしている。50年経ったら、少しは上等の夫婦になっていなければ息子や娘に顔向けできまい。我がまま者が最近反省しています。反省力がまだ残っているのかな?大きなことを言いましたがどこまでできるかわからないけれど、残りの人生は、もっと夫を自由に、のびのび表現させてあげたい。言いたいほうだい、やりたいほうだいの楽しい人生を送らせてあげたいと思っています。