なにやら大きな地殻変動が起こっている♪
年末からネタが溜まりまくっている。笑忘れないようにメモだけ。・フラメンコ・歌舞伎・築地/まるごとの魚・2003年→2004年・初詣/当番町まずは、最近の一番だいじなトピックから。---------------------------------------------■転機就職して最初の4年、制作プロダクションに勤めた。次の1年は、新しい会社での生活。今思えば、フリーになることを決心するための1年だったように思う。そして2000年3月。数日後に誕生日を控えた26歳の春、フリーになった。もうすぐ4年になる。新卒の4年と比べると、独立後の4年は、比較にならないくらいあっという間だった。とても、同じだけの時間が流れたとは思えない。そして、ひとつの転機を迎えている気がしている。この“転機感”は、とっても動物的な感覚だけれど、ドデカイ感じだ。自分のなかでの“揺れ”が大きい。およそ10年前の就職活動以来の、大転換期のような感じ。4年前、独立を決心したときよりも、はるかにドデカイ震度で地殻変動が起こっている。---------------------------------------------■20代→40代20代の間ずっと、40代は遠すぎてイメージできなかった。全然、まるで、からっきし、イメージ出来なかった。ここでいう、40代というのは、具体的な年齢のことではなくて、 結婚、出産、育児、というイベントを体験した後のステージ、というイメージに近かったように思う。それが、40代、という漠然とした感覚。で、結婚&出産、というイベントを、じぶんがどうするのか、全然わかんなかった。それと、それらのイベントと“おのれの仕事したい欲”がどう連鎖するのか、予測がつかなかった。休業したいと思うかもしれないし、仕事は意地でも続けたい、と思うかもしれない。それはもう、全然わからない。いずれにしろ相手のあることだし、まだ分からなくていいや、、、と思っていたのだけど、ひとつだけ、明確なイメージがあった。選択肢のあるオバサンになりたい、ってこと。仕事をしたければするし、休業したければ辞めちゃう。で、復帰したいと思ったとき、求人誌を片手に年齢制限をチェックしながら、、、という消去法ではなく、具体的には分からないけど、その時にやりたい!と思う仕事を自ら選べるオバサンになりたいぞ♪、、、と強く願っていた。妙に、明確に、そう思ったのです。で、それは、そう簡単なことではない、、、ということぐらいは分かっていた。そんなわがままオバサンが世をまかり通るには、相当の実力と、人脈、人望、がないとだめだろう、、、と思ったから、出産とか、育児といった、自分のモチベーションがどう動くか分からないイベントを迎える前に、人の3倍はがんばろう、と決意した。そして、いまに至る、のである。---------------------------------------------■30代→40代で、最近、10年後の、40歳の自分を、ちょっとリアルにイメージ出来るようになった。まずは、結婚がちょっとだけ具体的なイメージになった。要するに、たぶん、日向くんと結婚するんだろうな、ってこと。相手はどう思っているか知らないけど、笑なんか、そんな気がするのだ。出産&育児と、おのれの仕事欲の連鎖反応、についてはまだ分からないのだけど、育児をしながら今のワークスタイルを続けることは不可能に近い、ということは、分かってきた。これは、去年11月のプロジェクトで目の当たりにした、育児と仕事の壮絶な両立シーンが大きく影響している。※マドレ続編というタイトルの日記http://plaza.rakuten.co.jp/trinity30/diaryold/20031208/ 仕事についても、フリーになって4年、大きな転換期を自覚している。この1年で、わたしを取り巻く環境も大きく変わった。それと、、、何より、自分のなかに起こっている、価値観の変動。いまの延長ではなく、別な方向への転換がイメージされるのだ。具体的には分からないけれど、最近、少しづつ、感じ始めている。まだ、不確定要素もたっぷりだし、分からないことだらけだけど、40代の自分をイメージする入口に立った気がする。これは、ある種、リセットに近い感覚だ。絶対になりたくないと思っていた消去法オバサンになるか、理想像としてイメージしていた選択肢のあるオバサンになるか、ぶっちゃけ紙一重なわけで、笑当然、不安になることもある。でも、この大きな地殻変動は、必要なことのような気がしている。子供のときから、転換期には、自分がどうしたいのか、フツフツとイメージが沸いてくる体質らしく、不思議とやりたいことが見えてきていた。だから、次なるフツフツの誕生を味わいたいと思う。---------------------------------------------■変動価値観が変わっている。めちゃくちゃ大きく、変わってきている。これまで、常に新しい情報を創造する仕事、をしていた。でも最近、常に変わらないものへの興味が尽きない。不易流行とはよく言ったもので、本質的な価値を包含するものでなければ、本当の意味の“流行”にはならない。お師匠たちに“不易足りえる流行”の何たるか、を叩き込まれたので、単なる“流行”は許せない。でも、最近思うのだ。マスという概念(マスプロダクト/マスメディア)のなかにいる限り、【情報の激しい消費】というスパイラルの一端を担っていることに変わりはない、、、という、ある種の罪悪感(?)のようなもの。広く伝える、という機能は有益だし、必要なのだけど。。。答えは出ていないのだけど、最近、こんなことばかり考えている。---------------------------------------------■両極真逆の価値のなかで、揺れている。常に刷新される最新の情報と、常に変わらない価値。多くの人に支持されたがゆえの大ヒット商品と、大量生産できないもの(たいてい、質が高い)。最先端の技術と、伝統工芸などの技術。(優劣という軸の両極ではなく、 未来へ進むか、過去に進むか、という時間的な両極として)いつでも青山に出掛けられる便利さと、町内会みたいなベタな地域コミュニティーへの憧れ。(地元のちっちゃな神社のお祭りを当番町制で仕切ったり、 近所のオヤジが私の誕生日を覚えていて、 10年ぶりに逢ったのに「お前も次の3月で31だろう」とか 平気で言うくらいの、ヘビーなコミュニティー感。笑)情報が豊富にある暮らしへの執着と、自分の子供は町内会コミュニティーの中で育てたいという欲求。(どんなにインターネットが充実しても、 情報のスピードと量は、東京と地方都市は雲泥の差だと思う。 地方出身者だからこそ、帰京するたびに実感することとして。)、、、などなど、、、これらのどちらかの極に向かって行くのか、極の融合に邁進するのか、まったく別な方向へ突っ走るのか、しばらく、わたしの中の地殻変動は続きそうである。end---