筆記体優先は子供のため?
新学期が始まって、早1ヶ月近く。国民教育省の手によって、今年度から教育基本方針が大きく改変されたのは、ご存知の方も多いとは思うが、この改革の影響をモロにかぶっているのが、今年から1年生に進級した下の娘。さまざまな改革の中には、身体で体験させる学習方針(「体験学習」って、どこかで聞いたことあるぞ?)があるようで、我が校にも実験室やドラマ室が設けられ、専属の教師もつくようになったのは進歩だと思うが、一方で全く好ましくない改革が、筆記体学習を優先させる点。読み書きを始めて習う1年生から筆記体が義務付けられ、ブロック体を習うより先に筆記体でトルコ語を習うようになったのである。昨年まで、筆記体は3年生になってから習っていたので、新3年生である上の娘は今年から習い始めているが、すでに十分なトルコ語の読み書き能力があるので、すんなりと受け入れができている。それに比べて哀れなのが、下の娘。昨年の準備クラスでは、アルファベット(もちろん、ブロック体)を書く練習までは済ませていたのに、今年になっていきなり筆記体に切り替えられてしまったのである。ほぼ毎日出される宿題を見れば、なんとか真似して書いているし、なかなか上手に書けているようで、親としてあまり心配はしていなかったのだが、先日学校で先生に聞かされた話は、ちょっとガックリくるものだった。「ナナちゃんは・・・書くのは問題ないんですが・・・自分が書いている言葉の意味が分からないままに書いてるみたいなんです」トホホ。。。さすが、手仕事向きで、真似だけは上手なナナだ。先生も、言葉の意味を教えながら書かせているはずだろうに、人の話を集中して聞くのが苦手だから、右の耳から左の耳に通り抜けてるだけに違いない。私はこの日から、宿題に書かれてある単語の意味を、ナナに一つ一つ確認しながら、書き取りをさせていたのだが・・・・。今日出された宿題を見てやって、またもや愕然とした。いつも書き取りだけの宿題だったのが、今日は読み取りの宿題。少しは読めるだろうと思って、「さあ、じゃあ読んでみて」と一番上から順番に指さしていったのだが、トホホ。。。ほとんど読めないのだ。私が先に読んでやり、それを復唱させる。何回か繰り返したところで最初に戻ると、やっぱり覚えてないのだ。あ~あ。我が娘ながら、どうしたことだろう?上の娘の時にはあまり苦労した覚えがないので、やっぱりこれはナナの集中力不足に原因があるのだろうか?しかし・・・・娘をかばう親心(=親バカ?)といわれてもしょうがないが、娘側の原因だけではない、やはり筆記体ならではの読みにくさにも原因があるような気がしてならない。宿題は、先生がすべて手書きで用意した筆記体の文章である。同じアルファベットを使って、似たような単語を組み合わせた、意味のよく分からない文章が並んでいて、しかも丁寧に書かれているとはいえ個人の書いたものなのだから、初めて読み書きを習う子供たちには、難しくても不思議ではなかろう。ちなみに、今日の宿題の文章はというと。El ele (手に手をとって)Ela at elle (エラ(名前)、投げて、手で)Ela atla (エラ、飛び降りて)Ata et al (アタ(名前)、肉とって)Ata lale al (アタ、チューリップとって)Ata ala at al (アタ、栗毛の馬つかまえて)Ela at al (エラ、馬つかまえて)Ela et al (エラ、肉とってLale et al (ラーレ(名前)、肉とって)Talat, ala at al (タラット(名前)、栗毛の馬つかまえて)Al al et al (とって、とって、肉とって)Al al at al (つかまえて、つかまえて、馬つかまえて)Al Lale al (つかまえて、ラーレ、つかまえて)Talat et al (タラット、肉とって)Al Talat al (つかまえて、タラット、つかまえて)Lale, lale al (ラーレ、チューリップとって)Al Lale al (つかまえて、ラーレ、つかまえて)Ela lale al (エラ、チューリップとって)Lale al Ela (ラーレ、つかまえてエラ)Al Ela al (つかまえて、エラ、つかまえて)まるで父親、母親の子供時代、尋常高等小学校(←古い!)の1年生で習う「サイタ、サイタ、サクラガ、サイタ」のようではないか?自分が小学校低学年でどんな授業を受けていたか、今となっては何一つ思い出せない私だが、少なくともこのようなアプローチではなかったような気がする。ここでは、まず最初に4文字(a、e、l、t)のアルファベットだけを習い、その組み合わせから生まれる単語を覚えていく。それが一段落すると、次の何種類かのアルファベットに移る、というアプローチになっているようだ。しかし、ご覧のような紛らわしい文章を反復することには、どれほどの効果があるのだろうか?言語学の素養の全くない私には、正直言って疑問が先に立つ。それよりなにより、なんといっても筆記体である。あらゆる公文書、書籍、雑誌、新聞、もちろん教科書(トルコ語の一部は除く)・・・世間に出回っている出版物のほとんどがブロック体で書かれているのに、ブロック体の読み書きを先に教えないで、筆記体を強いて優先させる理由が、私には理解できない。まさか、eメールや携帯のショートメールにすっかり駆逐されてしまった手紙(しかも手書きの)を復権させたいなんていう、懐古主義者のたわ言から始まったものではあるまいなあ~。改良より改悪の感強し。2~3年もすればまた元に戻すんではないか、と思わずにはいられない。ちなみに、筆記体優先と同時に、アルファベットを教わる順番も、昨年までとは180度転換した。トルコでお子さんを学校に通わせてらっしゃる方はよくご存知のはずだが、昨年まではフィシ(短冊状の単語・文章カード)というものを使って、1年生はトルコ語の読み書きを習っていた。フィシを収納するためのフィシ・ドスィヤス(カード・ファイル)は、1年生の必須学用品だったのである。生徒たちがまず最初に目にするのは、abc(アーベージェー)ではなく、こんな感じの文章から。Ali al. (アリ(名前)、持って)Bu kalem.(このエンピツ)Su silgi.(その消しゴム)O defter.(あのノート)Zil caldi. (ベルが鳴った)Okula kos.(学校に走れ)・・・・これらの短い文章がカードとなって生徒に1枚ずつ渡され、生徒はアルファベットの読みを覚える以前に、文章全体の読みと意味を習う。完全に覚えたところで、文節へ、音節へ、最後にアルファベットへと分解していくのである。言葉といえば、50音やアルファベットから始まるアプローチしか知らなかった私には、初めてこの教授法に遭遇した上の娘の時には、ずいぶんと驚きいぶかしんだものだった。本当にこんなんで上手く習えるんだろうか?と。聞いたところでは、この教授法のほうが、文章を早く読めるようになるという利点があるとのことだったが、効果のほどはよく分からなかった。筆記体優先と、アルファベット優先。果たしてこの改革は、子供たちの読み書き能力にどのような影響を与えるのだろうか?母親としては、娘が挫折することなく、うまく授業についていってくれれば、それだけで十分という気がしないでもないのだが、やっぱり筆記体優先だけは、反対!だなあ~。こちらをご覧の皆様。最近の言語教育の流れは、どうなんでしょう?特にヨーロッパ(EU諸国)にお住まいの方々。この改革も、まさかアヴルパ・スタンダルト(ヨーロッパ基準)に合わせたものなんでしょうか・・・?ご意見をお寄せいただけると、助かります。