妻が旅立ちました
ちょうど一週間前の8月28日早朝、愛妻が半年の闘病生活の末に最期を迎えました。病院での後半は苦痛の連続でした。家に戻りたい、夫との時間を少しでも多く持ちたいとの彼女の願いが叶えられ、在宅医療を選択しました。病院で紹介された所は敢えて外し、彼女最後の検索力を駆使して、本当にいいクリニックを見つけることが出来ました。後に残る者が悲しまぬよう最大限の配慮を彼女は、意図的かどうかは別にして、してくれたと思っています。たとえば早からず遅からずの衰弱。病院生活が半年も続いたので、私が一人の生活に慣れるには充分の時間が与えられました。また私が少し努力しさえすれば手に入れられるようなものを毎日所望してくれました。すべて叶えてあげられたので私には後悔や心残りはありません。死ぬ間際まで周りに気を遣い、そして笑わせていました。最期は遠方から家族が二度にわたって駆けつけてくれ、彼女を中心に取り巻いた中で彼女は「大きな幸福を感じる」と言ってくれました。その安心と満足を充分に感じた彼女は、もうこれ以上永らえたらみんなに迷惑をかけると思ったのか、あっという間に亡くなりました。最期は穏やかに眠りながら息を引き取りました。ハリーちゃんと仲良く、いいところに行ってください。彼女との15年間で身についてしまった習慣から、本来の自分を掘り起こしていくのが当面の課題のようです。パソコンや事務処理能力を少しでも向上させないと、これからの老後が厳しくなりそうな予感がしています。