フジヤマの飛び魚大活躍 16日の日記
クロニクル フジヤマの飛び魚活躍1949(昭和24)年8月16日フジヤマの飛び魚とは、古橋広之進氏に米国のジャーナリズムが贈ったニックネームです。古橋広之進氏、年配の方は御存知と思います。水泳日本を代表する自由形長距離の名選手でした。敗戦国の日本、ドイツ、イタリアが国際スポーツ団体への再加盟を許可されたのは、この年1949年のことでした。そのため前年48年のロンドン五輪には出場できなかったのです。そこで、日本水連は、ロンドン五輪の水泳競技の日程に合わせて日本水泳選手権を行い、古橋、橋爪両選手は、400m、800m(五輪にはなし)、1500m自由形の3種目で、いずれも世界新のタイムを出しました。しかし、国際水連にも復帰できずにおりましたから、記録は公認されませんでした。そして67年前の49年、国際水連に復帰が認められた日本水連に対し、米国からロスアンゼルスで開かれる全米水泳選手権への招待状が届けられたのです。招待を受けた日本から古橋、橋爪両選手らが参加、この日400m自由形の決勝が行なわれたのです。最初からリードした古橋選手が4分33秒3のダントツの世界新記録で優勝、橋爪選手も世界新で2位となったのです。2人はその後、800m、1500m自由形でも、同じく1,2位でゴール。どちらも驚異的な世界新記録を出したのです。小学校1年生だった私も、良く覚えています。2位の橋爪四郎選手は、古橋選手の影に隠れたかたちになりましたが、米国のジャーナリズムは、2人、特に古橋選手を「フジヤマの飛び魚」と讃えたのです。敗戦で息沮喪気味の日本人にとって、2人の米国での活躍は、まさに胸のすく思いであり、2人の活躍は、日本人の自信回復に大きく貢献したのです。古橋選手は2009年に81歳で亡くなりましたが、橋爪選手はなお御健在です。