三鷹事件 15日の日記
クロニクル 三鷹事件1949(昭和24)年7月15日68年前の出来事です。この日、午後9時24分、国鉄中央線の三鷹車庫から、無人の電車が暴走したのです。電車は車止めを突破し、駅改札口と階段をぶち抜き、駅前の派出所を全壊して、民家に突入、ようやく止まりました。死者6名、重軽傷者20名を超える大惨事となりました。この年、政府は経済再建のための行政整理の一環として、国鉄の人員整理を計画して実行。7月1日に30,700人、12日に63,000人の整理を発表したのです。当然組合は、この計画に強く反発、国鉄労使の関係は、こじれにこじれていたのです。そうした中で事件はおきました。7/5の下山事件、8/17の松川事件と並ぶ、国鉄争議をめぐる3大事件の1つです。時の吉田茂首相は、社会不安の源は、武装革命路線をとる共産党にあると、共産党を強く非難しました。その結果、9人の共産党員と1人の非共産党員が、逮捕されました。首相の共産党非難に悪乗りした捜査当局の勇み足でした。それでも非を認めない捜査当局は、証拠がないにも関わらず、公判維持に奔走しました。そのため9人の共産党員の無実が確定するまでに、6年もの歳月を要したのです。権力の暴走って怖いものですね。これからが心配です。