日経平均史上最高値 29日の日記
クロニクル 日経平均史上最高値1989年(平成元)年12月29日30年前になるのですね。この日、東京証券取引所の日経225平均株価が、38,915円87銭という史上最高値で引けました。87年10月のNY市場のブラックマンデ―の衝撃を僅か2ヶ月で克服した東京市場では、翌88年12月には日経平均が未踏の3万円台に突入する活況を呈し、「特定金銭信託」や「ファンドトラスト」という聞きなれない言葉を連発しながら、平均株価は5万円まで上げ続けるという、根拠のない神話が信じられるユーフォーリァ現象を呈し、この日の大納会は、史上最高値を記録して終えたのでした。90年大発会の始値は、この値を200円も下回る38,712円88銭、これが、90年代どころか、今日まで超えることが出来ない、その後の最高値になろうとは、神ならぬ身に分かろうはずはありません。4月には3万円を大きく割り込み、4月以降しばらく戻して3万円台を回復しましたが、7月以降再度急落10月には、20,221円86銭を付けるに到りました。第1段の底は92年8月の14,309円41銭、95年7月に再び14,400円台、そして3年後の98年10月には12,800円台、こうした下げを繰り返して2003年4月の7607円88銭まで、13年間に渡って下げ続ける大きな後遺症を残しました。 高値からの下落率80.45%、2割弱に落ち込むという大暴落劇でした。株価と地価のスパイラル、崩壊した土地神話にしがみ付き続けた先送りのツケ、護送船団方式という政治の保護にアグラをかき続けた銀行・デパート・スーパー・土建を中心とした内需系企業と政治の無策が傷を大きくしたことも事実ですが、バブルは必ず崩壊し、得た果実よりも大きな傷を残すという教訓は、しっかりと受けとめておく必要があります。2007年に始まり、2008年がピークとなった米国発のリーマンショックと呼びならわされたサブプライムバブルの崩壊に際し、米国以上の大被害を受けた欧州諸国に対し、日本の金融機関の傷がはるかに小さく済んだ際には、バブル崩壊の教訓が生かされたように受けと得られましたが、なお、バブルの傷口が完全に言えず、大きなリスクを取りに行けなかっただけだったのかもしれません。 以後、十分元気になったとはまだ言えない日本の株式市場は、大量のETF買いで、株価を買い支えている日銀のおかげで、ようやく24,000円の手前までたどり着きましたが、ここが1993年と95年に実現したバブル崩壊後の戻り高値の水準ですから、さて来年はこの水準を超えていけるのでしょうか。ちなみに前回の東京五輪の年、1964年は、オリンピック不況で株価は下落しています。