このごろのフランス
Christian Science Monitor紙、3月29日号でSusan Sachs 記者がパリから書いていた。デモもストも整然と、政治過程の一部として組み込まれてしまっていて、まるで「国民投票」をデモやストという形式を借りて行っているようなそんな変な状態になっている、というのだ。「雇用における試用期間を2年間へと延長する法律」。ろくに国会で議論もせずに法律を通したあとになって、労組のみならず産業界からも異論が出た。Things are done in reverse here.First a law is passed and only afterwards is it discussed, in the street, chaotically and with a spectacular confrontation.「ものの順序が逆になった。法案が通ったあとになって、議論がはじまった。それも、街場でね。わっさわっさと、はでに角(つの)突き合せながら」と評するのが、現代政治を論ずる歴史家 Jacques Julliard(ジャック・ジュリアール)。There are many people in the street and they are asking for nothing and proposing nothing.「街へ繰り出す人は多いが、欲しがっているものも、求めているものもはっきりしない。」They just want the law withdrawn. Yet at the same time, they expect a solution from the state.「法律の撤回を求めつつ、そのくせ、国家が解決策を出してくれることを期待している。」They distrust the political class and yet have this extraordinary confidence in the state.「政治家に対しては不信をいだきつつ、国家に対してはものすごい信頼を置いている。」It's a particularly French form of immobility.「きわめてフランスに特有の、こりかたまり志向だ。」さて、日本の場合、どうなのだろう。政治家と国家(中央政府官僚組織)と、いずれに信頼がおかれているか。「国家をとろとろに溶かしましょう」という長らくのキャンペーンのおかげで、もっか政治家のほうに信頼がおかれているのではないか。郵政民営化路線というのも、つまるところそういうことだろう。中国共産党に対してどういう態度に出ようとしているのか常識のよって立つところがいまひとつクリアでない外務省より、媚びるか毅然とするかの何れかがはっきりしている政治家のほうがマシ、というようなところが 国民感情のような気がするが。