ミュージカル 「レント」 日本語版公演 Seasons of Love の訳詞のこと
薄倖(はっこう)の女、ミミ・マルケスを演じる DEM さん (大阪府出身) の歌声に何度もじんときた。声質が笹本玲奈さんに似ている。心優しきゲイのエンジェルも、辛 源(しん・げん)さんの演技がしっとりコミカルで絶品。楽しみにしていた 「レント」 日本語版。最後尾の席だったけど、満足感で満たされた。おととし来日公演を見、映画版を見て、ストーリーはわかりづらかったけど心にしみる曲の数々のとりこになっていた。なかでも名曲の Seasons of Love の冒頭“Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes, Five hundred twenty-five thousand moments so dear.Five hundred twenty-five thousand six hundred minutes ―How do you measure, measure a year?”を日本語版ではどう処理するのだろうかと興味津々だった。平成18年11月19日のブログ の後半に書いたように、わが試訳はこんな具合:「ごじゅう にまん ごせん ろっぴゃっ ぷんのその数だけの せつなささごじゅう にまん ごぜん ろっぴゃっ ぷんの1年をどう数える」「525,600 分」 というのは、1年のこと。エイズに侵されて限られたいのち。かけがいのない今。1年という時間を分単位でいとおしむ。2ヶ月ほど前、銀座の山野楽器でなんと RENT のイタリア語版のCDを発見し、はやる思いで Stagioni d'amore (Seasons of Love のイタリア語訳) を聞いたら、52万5千6百……は無視されて、こんな意味のイタリア語に訳されていた:「分や秒じゃないさ。時間でも瞬間でもない。1年という時は、そんなふうに計れるもんじゃない。時間数や日数や分単位で、ときを数えることはできない。たくさんのノスタルジアを、どう計れというのか」こりゃ、参った。意訳というより、切り口をがらりと変えている。興味のある方のために、イタリア語原文も:“Non e` in minuti o secondi, in ore o momentiche tu potrai misurare un anno cosi`.In ore giorni o minuti, il tempo non conta,come misuri tanta nostalgia?”さて、今回の日本語版公演ではどういう日本語に移されたか。ミュージカルの歌詞の翻訳では、音節数が少なくて日本語にしにくいキーワードは英語をそのまま残すことが多い。たとえば Me And My Girl だって、歌詞のそこだけは 「ミー・アンド・マイ・ガール」 のままだ。だから、Seasons of Love 日本語版もひょっとしたら……と思ったら、案の定だった。「ファイヴ ハンドレッ トウェニーファイヴ サウザン シックス ハンドレッ ミーニッごじゅうにまん ごせんの ……」「5千の……」 のあとがよく聞き取れなかったが、要すれば冒頭の1行と最後のリフレーン Seasons of love は英語のままだった。拍子抜けしてしまったが、まあ、無難な処理である。残念ながら、いまの日本ではこれが標準的。訳者の吉元由美さんは全体として、いい仕事をなさっていると思う。*RENT は、平成元年から平成2年のニューヨーク、繁栄から取り残された猥雑なイースト・ヴィレッジの純な青年群像。平成元年、ぼくも20代の終わりを北京で過ごしていたわけで、RENTの登場人物と同じ時代を地球の裏側で呼吸していたのだ。芝居の狂言回しは、16ミリカメラを回し続ける映画制作志望のマーク・コーエン。その周りに、究極のメロディーを探しあぐねるギタリストのロジャー。彼を慕う、薬物中毒のミミ。ゲイのトム・コリンズ。街でトムを救い 「カノジョ」 となるエンジェル。社会派パフォーマンスにかけるモーリーン、などなど。見る人ごとに、あるいは、その日の気分で、「こいつが主役さ」と思い定めて追いかければいい。いろんな見方ができるから、奥が深いのだ。マークを演じた森山未來さんは、さすが実力が感じられたがちょっと控えめすぎた。今回のキャストは日頃 「一匹狼」 的なヴォーカルの仕事をしている人が多かったので、その未來さんは 「まとめ役」 を意識しすぎて我を出さなかったのかも。ロジャーを演じた Ryohei さん。喉を痛めたのか、声がかすれかけていたが、その分を力んでしまった。 肩のちからを抜いて!トムを演じた米倉利紀(よねくら・としのり)さん。人間楽器みたいな、低音から高音まで豊かな声が、ほかの役者さんたちと段違い。オペラ歌手も務まりそうだ。モーリーンを演じた Mizrock さん (北海道出身) は、お芝居することを心から楽しんでいるようすが好感。これまで出会ったことのない幾人もの才能に巡り合えて、すばらしい時間だった。12月には、ダブル・キャストの別ヴァージョンを見る予定。ミミの Jennifer Perri さん (ハワイ出身)、エンジェルの田中ロウマさん、ロジャーの K さん (韓国ソウル出身) に出会う。(12月30日まで、日比谷のシアタークリエで公演中。)