映画「スウィーニー・トッド」 舞台ミュージカル版より狂気が前面に
「スウィーニー・トッド」は、去年1月に日生劇場でミュージカルを観た。宮本亜門さん演出で、主演は市村正親さんと大竹しのぶさんのコンビだった。そのときの感想を平成19年1月14日のブログに書いている。ティム・バートン監督、ジョニー・デップ主演のアメリカ映画 Sweeney Todd, the Demon Barber of Fleet Street は、 demon(悪魔)の1語を使っただけあって、ダークな絵画がうごめいているような映像だ。彩度が抑えられて、まるでモノクロ映画を見ているようなタッチがうまく時代感をつくっている。客が全くよりつかない、ミセス・ラベットの不潔なパイ屋の光景もグロテスクだ。粉を練る板の上をゴキブリがうごめき、蓋をする寸前のパイの具に大きな蝿がとまりペチャリとそのままパイの一部にされてしまうあたり、CGが使える映画ならではの表現だろう。ストーリーも、ミュージカル版に比べて陰惨だった。市村正親さん演じるスウィーニー・トッドは最後まで人間的感情が溢れかえっている。舞台上の床屋の椅子であやめる相手もそれぞれに“悪(わ)る”であって、観客の心を最後まで自分に引きつけ続ける役回りになっていた。劇の終りちかく、絶対に手にかけてはならぬ女を殺してしまうときも、市村スウィーニーは「もう時間がない!」と苦悶のなかでカミソリを振り下ろす。映画のジョニー・デップ演じるスウィーニーは、招かざる脅迫者の首をやむをえず銀のカミソリにかけたあと、自身が殺人機械と化してしまい、無差別殺人者としての悪魔性が前面に出ている。あやめてはならぬ女の首を無言のうちにさっと一斬りするジョニー・デップの表情は、人間性が燃え尽きている。現実世界とはちがう空気が流れる映像のなかで、スウィーニー・トッドとミセス・ラベットはさながら魔界のかなしい妖怪のようだ。鮮やかな紅色の血がいくら飛び散り流れても、それはあまりに別世界の光景だから、たぶん夢のなかの再現にうなされることはない。西新井でいっしょに観たわたしの女は「こんどミュージカルが舞台にかかったら連れていって」と言った。陰惨なストーリーだが、そのいっぽうミュージカルゆえの救いがある。間の悪い青年アンソニーが “I feel you, Johanna...” と絶唱する恋歌には心洗われるし、不本意にも悪辣裁判官の籠の鳥にされてしまったジョアナが窓の外を見ながら歌うナンバー Green Finch and Linnet Bird(「緑の鳥」)も哀しいほどに清ら。ミュージカルに仕立てることなくして「スウィーニー・トッド」は成立しうるのだろうかと、そんなことまで思わせる作品だ。