実感できるみ言葉
クリスチャンであるならもちろんのこと、聖書を読んだことがある人なら、「この言葉、身にしみるなー」と感動したり、「まこと、そうであることよ」と実感できる言葉があると思います。へたれカトリック信徒であるわたくし、いうのすけめにも、そういうことばがあるんでございます。「このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう。」マタイ20:16(口語訳)これを実感することは、毎年、5,6回はあります。-----今週も・・・。先週の日曜に、娘のイースタードレスの生地購入。縫い始めようとしたところ、22日に学校行事の「フェアリー・テイル・パレード」があることが判明。コスチュームを着せて登校させねばならない。テーマは、童謡か、物語の登場人物。イースタードレスを着たキャラクターはいないか、必死の検索をするも見つからず。しかたなく、昨年のハロウィーンの猫衣装+長靴=「長靴を履いた猫」としてパレードさせることに。何もしないのも恥ずかしいので、赤いフリース買ってきて、てきとーに丸く切る。それだけじゃさみしいから黄色いテープで縁取りして、マントを作った。イースタードレスの生地がピカピカ光りながら「早く縫ってー!もうすぐイースターだよー!」と呼びかけてくるのを横目に、マントにテープを縫い付けていくいうのすけ・・・ああ、「このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう。」この真実よ!!!イエスよ、あなたは正しかった・・・!・・・って、全然文脈無視?^^;(ちなみにこの句の意味は、神の恵みとは、労働の長さや量に対する報酬のようなものではなく、与える神の自由意志による贈り物である・・・というようなことです。veronicaさん、もずさん、これでいい?^^;)(それから、もひとつ。「み言葉」って言葉、カトリックではあまり使いませんよね。プロテスタント用語かな。カトリックだったら何て言うんでしょう。「聖句」?日本でのカトリック生活経験がほとんどないので、日本語がプロテスタント仕様のままです^^。)-----そうして、み言葉にあるように?「先になった」長靴を履いた猫でございます。王様へのプレゼント、ウサギを袋に入れております。このウサギらも、昔作って今はもうくたくた。いい感じで獲物化しておりました。パレード、見に行ってみたら、ハンンプティー・ダンプティーや、頭に包帯巻いた「ジャック&ジル」のジャック、王様、お姫様らが闊歩していました。かわいかったです。カメラ忘れて行って残念。明日からは、「あとになって」る、イースタードレスに取り掛かります。あと一週間。できるのか!?