神君、伊賀越えといえば。
神君、伊賀越えといえば。幾多の戦国時代を扱った大河ドラマといえば、本能寺の変そして家康の伊賀越えというのが定番ですが、 そんな神君家康の伊賀越えに関するお話の付け合わせとして、2016年分ですが、ご参考までによろしかったら。↓『本能寺の変といえば、伊賀越えですが。/2016年分』大河ドラマで戦国ものといえば、本能寺の変”が つきものなのですが、その場面でかならずとりあげられるものに家康の伊賀越えのおはなしがあります。 → 伊賀越えについては こちら。 と いうことで前回の浄土寺の本殿から左手に進み、件の閻魔様の前の路地を抜けて一つ木通りにでてそのまま道なりに坂を上がると、すぐに目にはいるのが、こちらの看板。 [伊賀越え所縁の鈴を祭って創建されたという説がある]鈴降稲荷さまの場所を示す看板です。 道から左手に曲がった先にあるのが、一畳ほどのこじんまりとした鈴降さまのお社。お社のわきには、この稲荷の由緒が書かれた看板があり、この看板曰く ・・・・一説には天正十年織田信長本能寺の変に遭いし折、京阪にありし徳川家康急遽三河に帰らんとて、伊賀越えの際山中にて道に迷いし時、遥かに鈴の音が聞こえるので、その方向にたどりつくと観音堂あり堂主山名孝倫なる者がいて之を迎え厨子の中より三箇の鈴を取り出し家康に献じ、且つ付近の住民を集めて道案内と警護をしつつ伊賀の白子に出、舟にて海路浜松へ帰ることが出来たという。家康は、此の恩義を徳とし、江戸幕府を開くや、孝倫はじめその折の郷民を江戸に召して四谷に地を給し、これを伊賀同心組とした。よって彼等は一宇の祠を建て、さきの鈴を神鈴として鈴降稲荷と号し伊賀組の鎮守とした。とのこと。 そのような看板の説明をあたまのなかででなんども反復し、いまはいったいどうなっているのかしらん などと、現在の神鈴のありかなどを思いながら、とりあえずお社の鈴をならしてお参りし、そのあと通りのほうに退出し・・・ きた道を逆に帰って、路地のほうから浄土寺の境内に進みつつ・・・閻魔さまとお地蔵さまに鈴のありかや、ひいてはことの真実をおたづねする のが、最近の赤坂散歩時の定番となっております/笑。 今回の大河ドラマの真田丸での、内野聖陽さんの演じる 家康のばたばたの伊賀越えは、個人的には大好きでした。 ハマカーンの浜野半蔵、ドラマ後半もどんどんでてきて ほしいです。「夢で終らせない農業起業」「 本当は危ない有機野菜 」のの