玉虫との久々の遭遇
現在、横浜のフツーのマンションに住んでいますが、そのマンションは少し小高い丘に沿って建てられていますので、街中にありながら意外に自然に触れあう機会が多くなっています。今の時期には、セミが朝から夜遅くまで鳴いています。また、夜には灯りを求めてコガネムシ(本名はドウガネブイブイ)が飛び込んで来たり、コクワガタなども通路でウロウロしたりしています。ところがなんと先日は玉虫がマンションの廊下を這っていました。この虫の生きたものを見るのは何年ぶりでしょうか。まだ大阪にいた紅顔の美少年(こればっかり)であった小学生の頃、しょっちゅうセミ取りに行っていた裏の神社で何度か捕まえたことがありましたが、それ以来です。日中は空中を飛んでいることが多く、飛んでいる姿はゴキブリのように見えるのですが、美しい羽が太陽光に反射しているので、すぐ網を持って追っかけていました。小学校の国語の授業で法隆寺に「玉虫の厨子」というものがあり、これに何千枚もの玉虫の羽が貼りつけてあると習った憶えがあります。白黒の教科書に古い厨子の写真が載っていました。まだ本物を見たことはありませんが、死んでも玉虫の羽の色は衰えないのでそのまま使ったらしいです。厨子とは仏像・舎利または経巻を安置する仏具です。確か教科書にはこの厨子を作るために日本中玉虫を必死に集めた人の話が載っていたと記憶します。使用された玉虫の数は6,600枚とありますので、3,300匹は集められたという勘定になります。なかなか集団で飛んでいる虫ではないので、採取するのが大変だっただろうなと思います。最近は余り見ないので絶滅瀕死種かと思いましたが、幼虫がケヤキや桜などの幹を食べる害虫だそうで結構しぶとく生き残っていそうです。この玉虫と同じ姿をして、もっと地味な色のウバタマムシという種類もよく捕まえました。玉虫にくらべ比較的よく捕まえることができました。茶色と黒の地味な色なので玉虫のメスだという噂もありましたが、ちゃんとした別種です。良く言われる玉虫色というのもこの虫の羽の色から来てます。しかし本物の玉虫の羽の色は緑や赤と非常に鮮やかでくっきり、はっきりしているので、なぜ玉虫色という言葉が作られたのかよく分からなかったのですが、広辞苑によると、「~光線の具合で緑色や紫色に見えたりする~」というところから「見方によっていろいろに受けとられるような、あいまいな表現」になったそうです。どちらかと言うとウバタマムシの羽の方が茶色と黒の渋い配色なのでこちらの方が玉虫色の語源かと思っていました。こんなに目立つ色だと自然界では鳥などに見つかり易いのではと思いますが、意外に光りが反射して見づらいらしいです。漢字では”玉虫”とも”吉丁虫”とも書きます。今は昆虫採集の趣味がないので、捕まえた玉虫は放すと丘の方に飛んで行きました。家に飛んできた玉虫