遠藤周作の原稿発見のニュースから 想うこと
今日の朝刊に、遠藤周作氏の未発表原稿が出現、という記事が載っていた。元編集者で、文芸評論家の某氏の許から発見された、という。ま、忘れていたのが出てきた、ということのようだ。それを見て、ふと思いだした。今年の三月に、村上春樹氏の、初期自筆原稿が市井に流出し、高値を呼んだことで、村上春樹氏自身が、それに抗議の意味を込めた一文を、文藝春秋誌上に発表した。それに関する小特集を、地方のホテルでテレビで見て(面白くなくなった古館の顔を見ながら)、酒を飲みながら「なんだかね~」などと思っていたら、最後にその文章のタイトルを見て愕然とした。「ある編集者の生と死 ―安原顯氏のこと」げっ! どうやら、その流出元が、スーパーエディターと自ら名乗っていた、「ヤスケン」こと、安原顯氏らしい。これは穏やかではない。たまたま仕事の上で知り合った女性が、ヤスケン氏の関係者であった。安原顯という人のことを、全く知らなかった私は、これも何かの縁だろう、と、氏の本を、一年ほど前に集中的に読んだことがある。そして、ネットで検索していて、氏が、中央公論で「海」という文芸雑誌の編集者をしていたこと、その時一緒に働いていた、村松友視に追悼集があることも知り、買って読んだこともある。様々読んだところからは、なかなか強烈ではあるが、面白い人であったようだ。そして、ある時期までは村上春樹のことを相当、評価していたことも分かった。その安原顕が、所持していた自筆原稿をうっぱらった、ということになるなら、大問題である。名古屋の駅で文藝春秋四月号を購入し、隣に座っていたビジンのお姉さんには目もくれずに(でも憶えているのだ(笑))、新横浜までそれに読みふけった。なるほど、事情はよくわかった。村上春樹氏とヤスケン氏は、後年仲違いしてしまったのね。理由は、村上氏本人にもよくわからないようだけれど。原稿流失は、それが半ば故意によるものであることも、村上氏の文章からすれば、充分推測される。それは、村上春樹氏が言うように、許されることではない。また、そもそも、中央公論社に保管されているはずの原稿が、編集者の手元にあったことも、やはり故意であったものと思われ、決して許される所行ではないのだろう。その意味で、村上春樹氏の主張は、正しいものだ。しかし、その文章自体は、苦渋に満ちている。私は、村上春樹の文章に精通している訳ではないけれど、どこか、思い切りの悪い、なんとも「やるせない」トーンの文章だと思う。まさに、いろいろなことを「悼んだ」文章なんだと感じた。しかしそれでも私は、ヤスケン氏を擁護する立場である。そして、村上春樹氏には、ここはどうだろう?と思うところがあった。まず一つは、畏友・村松友視が書くところから忖度するに、同情の余地があると判断するからだ。これは村上春樹氏自身も書いているが、安原顕氏は、非常に裏のない性格であったようだ。そして、出たての村上春樹氏の仕事に、非常に好意を寄せて対していたという。その頃、安原顕氏は中央公論社の発行していた文芸雑誌「海」の編集者で、村上春樹氏の、スコット・フィッツジェラルドや、レイモンド・カーヴァーなどの翻訳を、ドンドン載せてくれた、という。大学時の英語のテキストで、フィッツジェラルドの「金持ちの青年」を読んだ時には、氏の訳も「参考にせよ」と、言われたことが思い出される。小説もそうだが、翻訳ものを手掛けた村上氏に、仕事の場を提供したのは、安原顯氏であることは、間違いのない事実であろう。村松友視によれば、文芸誌「海」は、対外的な評価とは裏腹に会社内での風当たりは、相当強かったらしい。我々にしてみれば、出版社というのは、文学者の味方であるように思っているのだが、向こうも商売。売れなくては、いくら評価されていても意味はなく、ましてや、新人さんは、相当に冷たく扱われて当然なところがある。まだ、海のものとも山のものともわからないんだものね。出たての作家の才能をいち早く認め、その為に紙面を割いた。そしてそれを、身体を張って守った。会社とケンカしつつも守った。だから、ハルキは、オレが育てたようなもんだ。そんな気持ちが、安原氏には、確かにあったのだと思う。その作家への評価が定まっていない状態では、原稿を会社に戻したところで、どうなるかわからない。原稿の保管状況が正確にはわからないから、なんとも言えないけれど、有名作家(ヤスケンが、大江健三郎と大ケンカしたのも有名らしいが)ならともかく、そうでないならば、その辺に、ポン!と積まれて埃と塵にまみれて埋もれてしまう、大方、そんなものなのではなかろうか。場合によっては、その雑誌自体がなくなれば、時期を見て、廃棄処分されることもあり得る…のではないだろうか?永遠に、一発屋の作家も含めて、原稿を保管し続けていかなくてはならないとしたら、その費用だけでも莫大なものになるだろうからだ。たとえ後で売れたとしても、当初冷遇したことを考えれば、それを会社に取り上げられるのは、納得出来ない。だから、自分の大事に思う作家の原稿は、会社なぞに渡さない。自分で、しっかり持っている。そんなことだったのではないか、と思う。それは、たとえ、本来許されることではなかったにせよ、充分に同情をもって、理解されるところだ。ま、いくらケンカして、会社のことを口汚く罵りつつも、結局かなり長い間辞めなかったことへの理不尽さは、やはり村上春樹氏の指摘通りであるんだけれども。しかし、それは村上春樹氏の原稿だけ、に限ったことではなく、他にも消えてしまった作家も含めて、全ての原稿が、一緒くたになって、安原氏の手元にあったはずである。…今、思ったけれど、村松友視は持っていないのだろうか?それは要確認なのでは…同じこと、していたのでは…と思うのだけれど。まあ、それはよいとして、原稿を抱えていたのは、ある作家への好意に基づく行為であったということだ。しかし、結果的にはそれを処分した。本当は、作家に返さなくてはならない。そこは、どう言っても問題だろう。でもね、思うのは生原稿だけを、売りの対象としたのかどうか、ということだ。安原顯氏が亡くなったのは、03年の一月。ガンに冒されて蔵書整理をし始めた、書庫には「書籍とCDと各種書類(村上氏による傍点アリ)」が驚くほど大量にあったという。それを処分する、となった時、確かに売れそうなものから処分する、ということは、一つの選択肢としてあるだろう。だが、あまりの量であるならば、一つ一つを吟味することなどせずに、有る程度まとめて幾ら、という大雑把な査定と、大雑把な処分の仕方が、普通なんではあるまいか。その中に、村上氏の言う「各種書類」があって、それが確実に自筆原稿であったと、そしてそれを意図的に売ったと言い切れるのだろうか。買った側で調べてみたら、「入っていた」ということは、古書業界では、よくある話だと思うんだけどな。もし、故意に売ったことが、自筆原稿から意図的に処分したことが分かるとしたら、全く、擁護の余地はない。しかし、それを処分したお店は、店主も亡くなって、いまは存在しないという。そうなると、真相は、現時点ではわからない。もし、意図的でなく、がばっと処分した中に、作家の生原稿が交じっていたとしたら、それは、厄介な蔵書整理に際しての、「ボーナス」ぐらいの感覚だったのではなかろうか。買い取った時の値段は、ほとんどタダ。しかし、それが市にでた時点で、バカ値が付く。儲かったのは、市に出した古書店主と、それを買って、目録に載せて売った、古書店だ。安原顯氏自体は、ほとんど儲かってなどいない。もし儲かっていても、間に一つ本屋が挟まることで、最終的な値段が百万を超えていたとしても、恐らく、十分の一以下だったと思う。そうなると、それを手放すことに、どれくらいの意味があったのだろうか。甚だギモンなんである。そこで、延々書いてきて、最初に戻る。遠藤周作氏の原稿。生前、仲間の編集者にも、遠藤周作自身のも、「原稿を渡したと思う」と言われていて、本人は、それを見失っていた。だから、出てきたことで、これは遠藤周作の縁の記念館に寄贈すると言う。でも、忘れてたんでしょ。ということは、これが、蔵書整理に遭った「各種書類」の束の中から、見出されていたら、どうなったのだろう?整理した人物が、生きていようといまいと、その中に、たまたま忘れ去られていた原稿が、交じっていた。それが、古書店の人によって、見出された。その商品価値も含めて「見出された」となっていたら…そうとなったら、状況はかなり違ったものになるのではないのだろうか。自分が生きているうちに、自分の初期原稿が流出してしまったことに対する、村上春樹氏の怒りはもっともだ。初期のモノの中には「握りつぶしたい」ものがあるという。それなのに…という気持ちは、よくわかる。でもそれが、ある意味での人気商売上、仕方のない部分なのではなかろうか。作家本人が隠したがる部分にこそ、価値を認める。漫画の原画やらなにやら、すべて死んでいようが、生きていようが、それはその作家当人とは、別のところで、商品価値が生まれて、流通・売買されてしまう。そこに文句を言っても、止まらないところもある。安原顯氏が、意図的に、その商品価値まで見定めて、作家の生原稿を売りさばくほど、古書業界に精通していたということが、認められない限り、村上氏の文章の中で、「これらの原稿が残らずこの価値基準で市場に出たとしたら、 かなりの規模と金額のものになるはずだ」という、一文の意味は、誤解であると言わざるをえない。私は、安原顯氏は、かつて駆け出しのころの、目を掛けていた作家の生原稿を、大事に保管していた。しかし、ある年月の間に、両者の関係には、変化が起こった。そして、大事にしていたはずのものが、どれなのか分からないような状況の中、蔵書整理を始めてしまったことで、訳も分からず、それは流出してしまった。というのが真実なんではないのだろうか、と思っている。そして、処分されたモノの中から、お宝を見出した人が、オークションに掛けたり、一部は、古書市場に出回った。そのお宝の原稿は、村上春樹氏の人気から、異常なまでの値を付けてしまった。ということなんではないのだろうか、と思うのだ。繰り返しますが、今以て、やっぱり作家の生原稿を、編集者が、会社に渡さずに、自分で抱えていたこと自体は、ダメだと思いますが…室生犀星なんか、「死んだら売れ」って言って、日記書いていた例もあるから、日本の近現代文学に根ざした、問題も含まれていると思われ、簡単なことではないのですがね…これに関しては、もう既に随分と多くの人が、何かを書いているようなのですが、それらをほとんど参照せずに書いたことは、謝ります。m(_ _)m