墓守
カフェオレはグレーかな。最近、墓守も悪くないな〜と思うようになりました。どういう心境の変化だろう。うちは母方が本家で、そりゃあもうおびただしい数の墓があります。古くは寛永から。寛永っていつだ。歴史の授業で聞いた覚えある。でも弟は大阪で就職したので、たぶん帰ってきません。当時母はずいぶん反対し、こっちで就職して欲しいとだだをこねていました。私はその時は弟の好きにすればいいと思ってました。今現在生きてる人の人生が、すでに死んでしまってこの世にいない人たち(ご先祖様、実際は墓)に左右されるなんて馬鹿げた話だと。どっちが大事かと問われたら、そりゃ今生きてる人に決まってる。一度しかない人生、せっかく勉強してきたんだから、就きたい仕事に就いたらいいと。その気持ちは今も変わりません。私もこの先やりたいことがあったらさせてもらいます。けど、ここにいる間は、お墓の世話してもいいなと思い出しました。たぶん祖父母が墓石の整理をすると言い出したからだと思います。大量の墓石を掃除し、広大な墓地を管理するのは荷が重い。もう自分たちの代で最後にすると。更地にして、家族墓にしようと言い出したんです。私は祖父母がそうしたいなら、それでいいと言いました。曾祖父母には私もかわいがってもらったので、曾祖父母のお墓がなくなるのはちょっとだけ寂しい気もしたけれど、ま、なくなってしまうわけではないのでいっかと。お墓の前に立つと、不思議と気持ちが落ち着きませんか。夏場蚊がいっぱいいるのは嫌だけど、気候がいいときならお墓参りも苦じゃない。やがてここに祖父母や両親も眠るんだと思うと、足繁く通ってしまうかも。何なんでしょう、最近やたら感傷的です。そういえば驚いた話、結婚相手のお墓ではなく、自分の家族と同じお墓に入るために、死後離婚する女性が増えているんだそうです。自分が死んだ後のことなんて正直私はどうでもいいですが、どこかに散骨してほしい気もします。暮らしを楽しむにほんブログ村