ケータイ小説とフィルタリング対策 2
今、未成年のケータイに強制的にフィルタリング導入を促進するための施策が行われようとしています。1月から新規の18歳未満のケータイ加入者にはデフォルトでアクセス制限が掛けられます。インターネットの有害情報が青少年を犯罪に巻き込む、そしてその事件がケータイを中心に起こっているということで考えられたことです。しかしこの一律のアクセス制限で、実はケータイ小説などを投稿できるホームページや日記やSNSなどのコミュニティサイトも有害サイトとみなされフィルタリングされてしまいます。このフィルタリングは、確かに子供たちを危険なものから守るという手っ取り早い施策ではありますが、事実上のインターネットへのアクセス制限でもあり、子供たちはやっと見つけた一筋の可能性さえも絶たれたと感じるのではないでしょうか。このままでは、数年後、もっと凶悪な犯罪が地方都市で起こるような気がしてなりません。大人たちが子供たちの未来をちゃんと考え、誇りや希望を持って生きていけるような社会を創っているなら、インターネットのアクセス制限をかけてもいいのかもしれませんが、現在のところ国の施策は子供たちにとって良い社会、希望のある社会を創っているようには思えないのです。格差社会は広がる一方です。今回のアクセス制限の施策は、もしかしたらこの情報化社会の先に生まれつつある新しいより良い世界という、子供たちが希望に感じる一筋の可能性が絶たれる気がして、asomeは残念でなりません。このフィルタリング対策というある種強制的アクセス制限を行う前に、もっとインターネット教育、Webリテラシーの教育を普及させるような政策が取れなかったのだろうかと大いに疑問に思います。今回の携帯フィルタリングについてのニュース記事を読んでいると、教育界も、携帯事業者も、総務省も、家庭も、サービス提供者もそれぞれがこの教育については及び腰で、互いに責任を押し付けているように感じます。どの立場の人にも、「本当に子供たちの身になって考えているのか」と投げかけたいです。自分たちの責任逃れだけなんじゃないかと。大人が混乱して、責任逃れをして、強制的に子供たちを制限すると、必ずや反動が生まれます。そのことがどのような結果を産むか、どの立場の大人たちもよくよく考えなければなりません。子供たちよ、どうか一筋の希望を失わず、賢く生きて行って欲しいと心から願います。ケータイ小説から少し話題がそれましたが、このテーマは今後の日本の将来に影響の大きいテーマであり、多くの大人たちが知恵を絞っていかなければならないことだと考えています。大人たちこそ賢く、そして本質を見抜き、未来の子供たちのためにしっかりと方向を示すよう動いていかなければならないのではないでしょうか。