フェニキア紀行 その6 エシュモン神殿
レバノンでは、時代時代に、上に新しい建造物が積み重ねられているので、フェニキアの遺跡がそのまま残っていることは皆無だそうです。ほとんど、礎石からその昔の面影を偲ぶしかありませんでした。しかし、やっと、シドンの郊外で、フェニキアの遺構がそのまま現存しているエシュモン神殿を見ることができました。炎天下の草深い中、「蛇がでるので、気をつけるように」と現地のガイドさんに言われましたが、みんな、なんのその。笑 ほんの短い時間しか、見ることができませんでしたが、感動です。ガイドさんによると、昔、エシュモン神殿はピラミッド型の神殿だったそうです。そう言われてみれば、遺跡全体が山のようになっています。さて、ガイドさんのお話をご紹介しますと、アスタルテという女神がエシュモンという青年に一目ぼれしました。エシュモンは狩が大好きでした。或る日、アスタルテは不吉な予感がしたので、エシュモンに狩に出かけるのをやめるように懇願しましたが、エシュモンは狩に出かけてしまい、事故にあって死んでしまいました。嘆き悲しんだアスタルテはエシュモンに神性を与え、それが、エシュモン神として、奉られるようになったのだそうです。当時、神殿には水槽があり、親たちが子供の似姿の人形を持ち寄り、洗浄して病気治癒祈願をしたということです。遺跡からは当時の人形が発掘されたそうです。もともと、大いなる自然のエネルギーが湧き出るルルドの泉のような聖地だったのでしょうね。おもしろいお話だったので、帰国して調べてみると、エシュモンとはバール神のことでもあるんですね。そして、アスタルテとはバール神の母親なのです。この女神はビュブロスでは、バーラトと呼ばれ、「聖母」という意味だそうです。アスタルテは、もともと、古代オリエント共通の神の概念であったそうで、シュメール人にはインニン、バビロニア人とアッシリア人にはイシュタル、エジプト人にはイシスとして親しまれていたそうですね。それが、ギリシャではアフロディテと同一視され、後世に聖母マリアにまで、継承されていくそうですね。バール神は、ゲバル人はアドン、アドニ、ギリシャ化したアドニスと呼び、テュロス人はメルカルト、シドン人はエシュモンとして崇拝したそうです。いろんな国の神の要素が融合され、姿、性格を変え、七変化しているみたいですね。興味深いことに、ガイドさんが話してくれたエシュモンとアスタルテのお話はギリシャ神話の美少年アドニスとアフロディテの神話とよく似ていますね。バール神というのは、きっと、「アドニスのように美しい」神様だったのでしょう。古代海洋民族の謎 フェニキア人 ゲルハルト・ヘルム著 河出書房新社※写真上:アスタルテの玉座(僭越ながら座らせていただきました)※写真下:玉座の下の獅子