ブルガリアのペルペリコン遺跡---- アレクサンドロス大王のご神託 後日談
いったい、この場所がなぜ、大王の神託の場所なのか?その出典はなにか?という、素朴な疑問が現地で何気なく買ったガイドブックを参考にして、やっと判明しました。初代ローマ帝国皇帝のオクタビアヌスの父親オクタウィウスはトラキアで軍隊を指揮していたんですね。オクタウィウスは息子の将来につき、酒神ディオニュソスの聖林で、神官から神託を伺ったそうです。「祭壇に生酒を灌ぐと、火柱が立ち昇り、神殿の破風をはるかに越え、天まで達したほどである。この同じ祭壇で犠牲を捧げていて、これと似た不思議な現象が起こったのは、後にも先にもアレクサンドロス大王ただ一人であったから」ガイドさんの「オクタビアヌス」というのは、「オクタウィウス」の聞きまちがいでしょうね。オクタウィウスとアレクサンドロス大王の時代は約300年経っていますから、オクタウィウスの時代には、アレクサンドロス大王の火柱のご神託は既に伝説といっていいでしょうが、語り継ぐに相応しいお話です。それにしても、祭壇にくべた炎に葡萄酒をそそぎ、その火柱が天まで達するほどだったとは、どんな、神秘的で荘厳なお告げだったのでしょうか。オクタビアヌスにせよ、アレクサンドロス大王にせよ、その未来は“天”まで通じていたのでしょうか?またもや、遊女asomeの想いは深まります。参考文献ローマ皇帝伝(上) 岩波文庫 著者:ガイウス・スエトニウス・トランクィルス /国原吉之助