おもしろき こともなき世(余)に おもしろく
今年も既に半分以上が過ぎてしまい、年々、「光陰」の速度が「矢の如し」どころか「光速」に近づくかの如き印象です。 ※光陰=「光」は日、「陰」は月の意で光陰は 月日、年月、時間を意味する。この7月1日をもって、現在の会社に再び勤め出して早や丸五年になってしまいました。自らの環境を「真田丸」と称し、精鋭部隊と共に日々奮闘してまいりましたが、参謀と目した若い衆は、今年3月で退社し、後任に抜擢した者も、数ヶ月で既に「矢折れ、力尽き」る寸前・・・しかも、我が部隊を背後から攻めたてるのは、我が部隊が身を賭して守らんとしている「本丸の輩」であり、その急先鋒がオーナー社長・・・という構図。ま、細かく語り出すと、「端折っても」8時間ぐらいかかってしまいますので、割愛いたします。※「真田丸」を標榜し始めたのは某N○Kの大河ドラマが始まる数年前でしたが、件の番組が人気を博して以来なかなか表立って「真田丸」と言えなくなりました。当時から愛用していた「六文銭模様の扇子」も封印しています。前回の就業時とは異なり「身も心もズタズタ」になるほどまで己を犠牲にするつもりは無く、省エネだけれども、効率的に効果を上げる「エネルギー対効果」を念頭に置きプライベートの余力(心身共に)を確保するよう仕事に向き合っております。それでも、「腹心の部下(しかも優秀)」を潰されるのはダメージが大きすぎる。(会社にとっても、それは同じだと思うんだが・・・)月曜日、重い心身に鞭打って出勤し何とか火曜日も己を誤魔化しながら踏ん張り水曜日が終わると、「ああ、ようやく今週も半分終わったか・・・」で、何とか残りの日を頑張り・・・ようやく休日を迎えても、その休日はあっと言う間に過ぎ去って、また1週間が始まり、水曜日が終わると・・・そんなこんなを4回繰り返すと、「お給料日」がやって来ます。これまたそんなのを12回繰り返すと、1年経過してしまいます。 「水曜日までがんばろう」 「給料日までがんばろう」 「次の6月6日までがんばろう」という気持ちと、1月4日の15時36分には 「今年も100分の1終わっちゃった」1月末日には 「今年も12分の1終わっちゃった」2月末日には3月末日には・・・・・・・・・・という「節目の日」が、交じり合いながら確実に月日を消化してしまっています。「門松(正月)は、冥土の旅の一里塚」と、かの一休禅師が詠んでおりますが、さしづめ節目の日は高速道路の「キロポスト」あるいは、「100mポスト」のように感じます。以前、勝手に自分の寿命を決め付けて、勝手に着陸態勢に入るような生き様は御免だ!(と言うより、普通に生きてきてる人とおんなじようにここから着陸態勢に入るほど飛んでない身としては寿命を決めずに、「飛び続ける!」しか勝負できる方法が無い。「勝負」・・・と言っちゃってるところが、少なくとも勝ち組ではない証しですわな。)高杉晋作の言葉を借りて…「おもしろき こともなき世(余)に おもしろく。」野村望東尼が続けた句が、「すみなすものは 心なりけり」かの伊藤博文をして「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、衆目駭然、敢て正視する者なし。」と言わしめた猛者。27歳の若さで他界している。その歳で既に人生も国家も達観してしまった生き様は凡人には計り知れない密度なのでしょう。それでも、何とか人生を面白く・・・というところは共感を覚えます。さて、7月といえば「ユリウス・カエサル」の話ですが、年に何度かは職務上「賽を投げざるを得ない」状況が発生し、その都度、大掛かりな「鉈振り」を敢行してきました。薄氷を踏む思いの連続ながら、何とかここまでは来ましたが、次の「鉈振り」は、今までに無い大掛かりなものになりそうです。それでも、既に「賽は投げられた」ので、立ち向かうしかありません。「Veni, Vidi, Vici. (来た、見た、勝った)」を目指して!最悪、「失業」も十分に有りうるのですが、たとえ「食い扶持を稼ぐ術」と割り切っても心までは売れません!あ、全然話変わりますが、嫁様が6月いっぱいで仕事を辞めました。理由には伏せますが、かむ太郎家としては収入減の大ピンチ!それでも、心を壊してまで「食い扶持」を稼ぐのも我が家の方針に反するので、 ボロは着てても~ 心の錦~ てなもんで、色々と覚悟を決めてました。ところが、「拾う神」ってのは存在するもので某クリニックの院長から嫁様にオファーが有り「保育士」として内科クリニックに勤めることになりました。しかも、今月頭から。無職の期間は「ゼロ」ですが、勤務時間が短いのと歩合制に近い特殊な仕事のため収入の減少は回避できません。ま、完全無職よりはマシですし、「心が病んで」辞めたはずなのに、今月に入ってからは「水を得た魚」のごとく活き活きしています。本来、思い描いていた「保育士」としての仕事内容に近いようなのと、勤務時間が短くなって少し余裕が出来たせいでしょう。お金で苦労する生活は、今までさんざんしてきたので、それなりの免疫と対処法は身についておりますが、(自分ではなく)嫁様の心労というのは未知の苦難ですので、お金の苦労でクリアできるのならば楽なもんです。お金がない生活よりも、嫁様が毎日「どよよん」としている方が何百倍も苦痛です。嫁様に求められているのは「保育士」としての関わりなのですが、どうやら学術的なアプローチの一端を担う職務のようで「ゆくゆくは、S先生と学会発表せなアカンかもしれん。 この手の業績に保育士が関わるのはレアケースやから 私は全国から講演依頼が殺到するかも・・・」などと嘯いております。嫁様が講演に飛び回る頃には私は下手をすると、「投げられた賽」の目が裏目に出て失業し、毎日近所の公園のブランコで・・・近所からは「かむ太郎さんとこ、嫁様は講演で飛びまわっとるし 旦那さんは今日も公園にござる。」てな悪評が・・・あいかわらず、波乱万丈なシナリオばかりが用意されております。センター試験まで、残り180日を切りました。