冪乗(べきじょう)の威力
切れ者と評される、かの豊臣秀吉が家来に対して褒美を遣わすことになった時家来(曽呂利新左衛門:落語の祖との説も)が「毎日米を下さい。初日は一粒、次の日からは前日の2倍の米粒を」と申し出た。初日:米1粒2日:米2粒3日:米4粒・・・2週間(14日):米8192粒ようやく米1合と1526粒・・・(米1合約150gとして、米1000粒で約22~23gらしい。 従って、150÷22.5×1000≒6666粒)ところが、30日後にはなんと!536,870,912粒(÷6666≒80538合)80538合分の米!≒12087kg=12t(12トン!)その翌日には・・・24t更に48t、96t・・・さすがの秀吉も途中で別の褒美に変えてくれ、と音を上げたとの事。(途中・・・って何日目だったんだろ? 14日で8192粒≒約184g 15日で16384粒≒約368g 16日で32768粒≒約737g 17日で65536粒≒約1475g 18日で131072粒≒約2949g 19日で262144粒≒約5898g 20日で524288粒≒約11.8kg 21日で1048576粒≒約23.6kg 22日で2097152粒≒約47.2kg 23日で4194304粒≒約94.4kg …「米を数える家臣」は10日(512粒)の次には 「1024粒」が想定されていたわけで このあたりで既に相当な困惑であったと推定される。 秀吉に直訴したところ14日あたりで、 「もうよい8192粒≒約1.23合は2合で良いわ!」 てな具合に15日に4合(600g)、 次の日に8合(1.2kg)・・・ だとしても、23日(153.6kg)24日(307.2kg) あたりまでは意地でも米を与えていたと思われるが、 いずれにせよ当初の「倍々計算」で 30日で80538合(1石1000合として80石)の勢いでは 翌月中には「100万石大名」を超えてしまいますので 少なくとも30日以前に秀吉はGiveUpしたはずです。)有名な逸話ですが、流石に今では小学生でも基本的な知識として標準装備しています。ですが、この「2のべき乗」でさえも知らなければ秀吉同様に高を括って臨む可能性は全くゼロではありません。況やこれが「1.1のべき乗」とか「1.01のべき乗」であれば、「2倍の米粒」のように途中で気が付くことさえも困難なほどじわじわとボディブローのように大きく影響します。健康も、能力も・・・この「見えないべき乗」で大きく左右されているのです。(「1.01のべき乗」とか「1.001のべき乗」なんぞは「ほぼ ❝ 1 ❞ やんけ!」と高を括ってしまいがち!)過去にもかように綴っております。 ⇒2010年8月26日「苦しい時に踏み出す❝もう一歩❞の重み」受験生の家庭教師を引き受けた時には、必ず最初にこのことを話します。(A)毎日、前日より「+0.1%(前日+1/1000)」(B)毎日、前日より「-0.1%(前日-1/1000)」の2通りの過ごし方で如何に将来が変わるか?を数値でシミュレーションします。★30日後(A)「1.001^30≒1.030」(B)「0.999^30≒0.970」(Aの94%)★1年(365日)後(A)「1.001^365≒1.440」(B)「0.999^365≒0.694」(Aの48%)★10年(3650日)後(A)「1.001^3650≒38.404」(B)「0.999^3650≒ 0.026」(Aの0.07%)【参考①】もう1桁小さくしてみても10年後(A)1.0001:(B)0.9999★30日後(A)「1.0001^30≒1.003」(B)「0.9999^30≒0.997」(Aの99.4%)★1年(365日)後(A)「1.0001^365≒1.037」(B)「0.9999^365≒0.964」(Aの93%)★10年後(A)「1.0001^3650≒1.440」(B)「0.9999^3650≒0.694」(Aの48%)【参考②】逆に1桁大きくすると10年後(A)1.01:(B)0.99★30日後(A)「1.01^30≒1.348」(B)「0.99^30≒0.740」(Aの55%)★1年(365日)後(A)「1.01^365≒37.78」(B)「0.99^365≒0.026」(Aの0.7%)★10年(3650日)後(A)「5929兆」:(B)「ほほゼロ」という結果!即ち!高校3年生になり、大学受験を目指す時点で「あいつと俺」「あの子と私」が何故これほど成績に差がついてしまったのか!の答えにもなり、この先の受験生活を如何に過ごすかの心構えにもなるのです。実際には、「普通に現役で東大京大クラスに合格するやつ」と「私」「俺様」は遡る事16~17年前にはそんなに差は無かったのです。(脳みそ自体の大きさも問題ではないし、かのアインシュタインの脳は 平均的な人の脳より小さかったとの話もある。)その後の生活環境や学校で各々違いは有ったであろうが「日本での大学受験」に必要な能力を得る機会はそれほど差が無かったはず。塾へ行ったから共通テストの80%は解けるけど行ってないから60%しか解けない・・・とか、家庭教師に教わったから、他の人には解けない問題も解けるなんてことは無くて、どんな生徒にも同じ問題を課すのだから言い訳にはならない。(しかも、出題範囲は限定されている!)個人的な感覚では、高校3年生の頃の・現役で東大行ったやつ ・・・毎日ハンドボール部で汗をかいてたし 長期休暇も部活動してた。・同じく現役で東大行ったやつ ・・・こいつもバレーボール部やったはず。・現役で国立医学部行ったやつ ・・・剣道部で主将してたし、生徒会会長してた。他にも普段の学校生活では私よりも「勉強以外」にエネルギーを割いてた(ように見える)奴らがさも当然のように「私には手も足も出ない難問」を涼しげに解き、「下手をするとダブルスコア!」ぐらいの得点を取りすんなりと(私にはそう見えた)難関校に現役合格をしていった。何が違う???私なりの解答は高校入学時点では「表面的な試験」や「範囲と期間を絞った中間期末試験」などでは、それほど差がつかなくても一度受けた試験・・・更には「一度でも間違えた問題」は奴らは二度と間違えぬようしっかりと対策していたと思います。翻って私は、単に「何点だったか?」「何位だったか?」ぐらいにしか捉えていなかったので、「せっかく間違えた問題」を生かせなかった。そして、高校入学時(15歳)においても既に、それまでの10年間(5歳~15歳)で前述の「1.0001:0.9999」(【参考①】)ぐらいの差がついていたのではないか、と思われます。肩を並べて入学した・・・と思ってたのは大きな勘違いで私の実力は既に高校のスタート時点で彼らの「48%」そこから更に3年間(同じ学校で、とは言え)「本気で大学目指して勉強」した彼らとそうでない私は、もはや数値では表せないほどの差が出来てしまったのでしょう。そんなことに気づいたのはもはや社会人となって数年経った頃であり、これから勉強を教える弟子達にしか伝える意味がなかろう・・・と思っていましたが、これは何も勉強だけに限ったことではなくて仕事や、(おそらく)アスリートのトレーニングやいろんなことの考え方の土台にもなる。と確信しています。ひいては「人生の生き様」にまであてはまるはず。