2人の「愛国者」の出会い(22日の日記)
キム・フン著、蓮池薫訳「ハルビン」(新潮社刊)について、文芸評論家の川村湊氏が8日の東京新聞に、次のような書評を書いている; 昔の千円札の肖像であり、初代の大日本帝国総理大臣だった伊藤博文――しかし、現在では日本でよりも韓国の方で、よく知られているかもしれない(特に若い世代には)。もちろん、朝鮮半島を植民地支配した初代の韓国統監の"悪役"「イドン・バンムン」(「いとうひろぶみ」ではなく)として、であるが。 朝鮮王家を廃絶の道へと導き、韓国を併合した極悪の立役者としての彼を狙撃したのが、大韓帝国臣民・安重根(アン・ジュングン)だった。ともに、「愛国者」であり、「東洋の平和」の実現を目指した2人(さらに"暗殺者"であったことも共通している)が、満州のハルビンという都市で、鮮烈な出会いを経験することになったのは、なぜなのか。小説は上海、ウラジオストク、ハルビンヘと放浪者のように流浪する青年・安と、豪勢な視察旅行に出発した枢密院議長の伊藤公とが、交互に描かれる。 一方の無目的な熱情と、一方の冷静で老獪(ろうかい)な政治的な意志と使命。この折り合うはずのない両極の情熱が交わり、交差し、そして火花を吹いたのが、欧州の入り口であり、アジアの出口(逆も可)であるハルビンの駅頭だったのである。 作者のキム・フンは、「民族の英雄」でもなく、「卑劣なテロリスト」でもない、猟師の若者・安応七(アン・ウンチル:応七は安重根の字(あざな))の暗くて、輝かしい青春を描こうとした。それはおそらく、戦争と革命と維新、テロと義挙の行動に明け暮れした、20世紀後半を生きた作者の半生をも、象徴的に表現するものだったろう(作者は1948年生まれ)。この小説の興味深いところは、ドン・キホーテ的な行動の人・安重根の傍らに、サンチョ・パンザ役の禹徳淳(ウ・ドクスン)を配したことだ。ルンペン・プロレタリアートとしての彼は、クリスチャンで思想家の安重根とは別行動で伊藤公を銃撃しようとした(もちろん失敗した)。下宿代を踏み倒すような無頼漢の彼は、明らかに安重根の"陰画"である。安の死刑に対し、禹は懲役3年。明暗の対比は、あまりにも鮮やか過ぎる。キム・フン:1948年生まれ。韓国の作家。『火葬』『黒山』など。キム・フン著、蓮池薫訳「ハルビン」(新潮社刊・2365円)2024年6月8日 東京新聞朝刊 12ページ 「読書-2人の『愛国者』の出会い」から引用 この書評記事は、一部に表現があいまいで理解に苦しむ部分もあるが、全体として気に入った記事である。それは、明治の日本政府が「朝鮮王家を廃絶に導いた」と明記しているからである。日本では、毎年正月になると「一般参賀」と称して大勢の国民が皇居に押しかけ、無邪気に日の丸を振ったりしているが、テレビでその画面を見るたびに、私は「この人たちは、かつて日本政府が朝鮮王朝を廃絶に追い込んだという歴史をどう思っているのか、あるいは全然無知なのか?」と疑問を感じてしまいます。私は、皇室制度は過去の遺物であり国民の民主主義への自覚が高まれば、いずれ制度は廃止する時期が来るであろうと思いますが、今現在の国民の気分では、正月の度に日の丸を持って皇居に参集して喜んでいる姿を見るにつけ、朝鮮にも同じように王家に対して敬愛の念を持つ人たちがいたであろうことは想像に難くありません。隣国の王家を廃絶に追い込んだという史実を意識することもなく皇室を称賛するという態度は、余りにも知性に欠けていると思います。