ヘイトスピーチ対処法が必要な理由(16日の日記)
当ブログ2月13日の欄に川崎市・福田市長のインタビュー記事を引用したところ、wolfさんの次にナナシイさんの、次のようなコメントが書き込まれました。今日はそのナナシイさんのコメントについて、考察してみたいと思います。ナナシイさんのコメントは、次の通りです;>少数派が圧倒的多数派にヘイトスピーチを投げつけたところで、そんなものはその場限りで終わりで、痛くもかゆくもないものであり、それは単なる「嫌悪の表現」に過ぎず、条例反対派が珍重する「表現の自由」の範囲内であると言えます。 じゃあ逆に日本人が韓国や中国国内で現地の人に向かってヘイトスピーチを投げつける事は、現地の人にとっては痛くも痒くもないだろうから容認できますかって聞いたら、佐原さんは絶対キレ散らかすと思うんですけど、その辺どうなんですかね? キレないまでも容認できないとは思いません? 何度でも繰り返しますが、社会的立場の強弱、多数派であるか否かで同じことを言ってもある時はヘイトスピーチにならず、別の時にはなる、などと言う事はありません。それはただの悪しき二重基準に過ぎず、都合よく自分の否定したい相手に対するヘイトを悪い事ではないと思い込みたいだけの、卑劣で薄汚い人間失格のゴミ以下の発想です。 佐原さんがこうやって攻撃されるのは、相手が何者であり尊重すべきであり、攻撃的な言葉を投げかけてはいけないのだという事を理解できず、また非難と批判の区別もつかない社会のボトムズであるからです。 最初のセンテンスは、日本人が韓国へ行って、例えば「韓国人は臭い」とか「アタマ悪いんじゃないか」とか、そういうヘイト表現で喚いたりすることを、容認できるのか、という質問のように思われますが、これは、容認するもしないも、基本的に人には表現の自由というものがあるのですから、それを私が「規制」することはできないと思います。逆に言えば、そんなことは彼の勝手であって、私は関係ない、という態度をとると思います。そんなヤツに関わりを持ちたくないし、、、。 ちなみに、数年前に韓国の空港で酒に酔って暴言を喚き散らして空港警察にお世話になった日本人国家公務員がいましたが、まあ、一応、暴言でも嫌悪発言でも少数派がいくら喚いても、その程度という教訓だと思います。 コトほど左様に少数の者が社会の秩序を乱すようなことがあれば、それに対処する法律は整備されているということでしょう。 最後のセンテンスでは、ナナシイさんが私を攻撃する「理由」の説明とのことですが、これも色々勘違いがごちゃ混ぜになっているように思われます。「相手が何ものであれ尊重すべきであり、攻撃的な言葉を投げかけてはいけない」というのは、これは常識の問題であって、当然私は理解しております。しかし、これはモラルなのであって、全ての人々に法律のように強制できるものではありません。その上、世の中にはモラルの範囲内で行動するという「規範」を守り切れずに「爆発」する人もいるわけで、その「爆発」が他人の権利を侵害するようになったら、そこは法律で規制できる、というのがヘイトスピーチ対策法の考え方なのだと、私は思います。