コンドルの系譜 第十話(102) 遥かなる虹の民
「ありがとう」そう言って己の隣に立ち、眩げに大海原を見晴らしているトゥパク・アマルの方に、改めて本人なのかどうかを確かめるようにスペイン軍人の視線が吸い寄せられる。インカ族らしい精悍さとインカ族らしからぬ美貌を兼ね備えた風貌。その端正な横顔を真直ぐ水平線の方に向けているトゥパク・アマルの漆黒の長髪が潮風の中に舞い、黄金の留め具で肩に巻き付けられたマントが涼やかな朝の爽風をはらんで翻っている。「まさか、このようなところでお目にかかろうとは…」独り言のように低く呟いた相手に、トゥパク・アマルがゆっくり振り向いて問う。「そなたはスペイン軍の将兵か?」「はい。わたしはスペイン軍総指揮官ホセ・アントニオ・アレッチェ直属の陸軍歩兵大将カザルスと申します。偶然とはいえ、トゥパク・アマル殿と直にお会いできようとは、誠に光栄です」「カザルス殿、わたしも同じ思いです」そう答えつつ、トゥパク・アマルは「陸軍歩兵大将──」と喉の奥で反芻(はんすう)し、それからカザルスの負傷した足へサッと視線を馳せ、また前方へと向き直った。そのようなトゥパク・アマルのどこか物言いたげな様子を見て、カザルスは軍人らしい逞しい笑みを覗かせながら、肩をすくめてみせる。「トゥパク・アマル殿のお察しの通りです。これは、あの貴殿の抜剣突撃の時に受けた傷です」カザルスの言葉にトゥパク・アマルはハッと微かに瞳を見張って、「それは、悪いことをした……」と、申し訳なさそうにやや俯(うつむ)き加減になる。それに対してカザルスは、「敵兵に傷を負わせるのは当然のことではないですか。それに、怪我を悪化させたのは、負傷後も戦場で暴れ続けてしまった己自身の自業自得でもあるのです」と言って、雄々しい笑みを見せた。「それより、トゥパク・アマル殿、貴殿率いる騎兵部隊による抜剣突撃──あの威力は実に鮮やかでしたぞ。貴殿らの動きはあまりに電光石火で銃撃しようにも捕捉することができず、結局、我らは迎え撃つための戦闘隊形を整えることすらできぬまま蹴散らされた。あの時の貴殿らには、まるで鬼神が乗り移っていたかのようでした」そんなカザルスの言葉に、トゥパク・アマルはどう返答したものかと言葉を探しあぐねている。が、やがて、ためらいがちに口を開いた。「カザルス殿にそのように言ってもらえるのは、光栄ではあるが……。しかし、実のところ、あの時は、他に打つ手が無かったのです。大切な兵の命を非常な危険にさらす行為でもありました。なれど、そなたにそのように言ってもらえて少し気が晴れた。あの時、わたしに命を預け、無謀な突撃を敢行してくれた兵たちも、そなたの言葉に報われることでありましょう」対するカザルスは真摯な面差しで、トゥパク・アマルの怜悧(れいり)な漆黒の瞳の奥を見据える。「インカ軍を見ていると、我ら西洋人が忘れてしまった騎士道精神を見る思いがする。こうして砦に敵の負傷兵を収容し、治療を施していることも、その表われでしょうな」「ありがとう、カザルス殿。インカの父祖伝来のやり方に則(のっと)っているにすぎないが、そなたたち西洋人の騎士道に通じるものがあるのならば、我らの精神性の大元は共通しているということでありましょう」そのトゥパク・アマルの返答に、「そうかもしれませんな」と、カザルスも深みを帯びた眼差しで頷く。やがてカザルスは、朝日がさらに高く昇りゆく大海原へと視線を戻した。そして、その豪胆な輪郭に険しさを宿し、今度は独り言のように低く呟く。「これからも激戦が我々には待っているのでしょうな。貴殿のような人物が率いる軍と戦闘を交えていくことは一軍人としては血湧き肉躍ることではあるが、一人間としては、むしろ疑問を覚える──」そのようなカザルスの言葉に、トゥパク・アマルも深く顎を引いた。「元を辿れば、スペイン人もインカ人(びと)も本質は同じなのでありましょう。そのような同胞同士で討ち合うなど、本来は正気の沙汰ではない。そうと分かっていながらも、今の局面では、わたしはまだ軍事行動を放棄することはできないのです」苦渋を帯びたトゥパク・アマルの声音に、対するカザルスは揺るぎない軍人の面持ちで野太く答える。「敵軍のわたしが言うのもおこがましいが、やむを得ないことでありましょう。貴殿率いるインカ軍は士気や戦意の高さで我らを圧倒しているし、開戦当初よりも武装も固めてきてはいるが、それでも火器や装備の面では今でもスペイン軍に見劣りする。そのような状況下にありながらもインカ軍の奮戦は敵ながら尊敬に値するものではありますが……とはいえ、率直に申し上げて、あの暴風雨が襲ってこなければ、先般の決戦も軍配はスペイン側に上がっていた可能性が高かったとも思える。副王麾下(きか)のアラゴン殿下率いる重装備部隊、その甚だしい威力は、あの決戦でトゥパク・アマル殿自身も直に目の当たりにされたでありましょう。あの勢力は今も温存され増強され続けている筈なれば、もし貴殿が僅かでも手を緩めれば、たちどころに猛反撃を受け、スペイン側優勢へと戦局は大きく傾くことでしょう。恐らく、取り返しがつかないほどに……。さすれば、貴殿がこれまで築いてきたことの全ては打ち消され、処断の名の元にインカ皇族はもとより、庶民たちにまで殲滅(せんめつ)の嵐が吹き荒れることになりましょう」「カザルス殿、まこと、そなたの言う通りであろうな。それ故、わたしも、まだ軍事行動を止めることができずにいるのです」忌憚(きたん)のないカザルスの言葉に沈着な表情で聴き入っていたトゥパク・アマルが、彼もまた率直な思いを口にする。それから、噛み締めるように言い添えた。「なれど、道は探し続けていきたいのです。血で血を洗うことのなき道を──」「トゥパク・アマル殿……」それ以上は黙って、2人は共に朝の陽光に煌めく水平線を見晴るかして過ごした。やがて、しばしの後、トゥパク・アマルが緩やかにマントを翻し、静かに踵を返して言う。「では、わたしは、そろそろ戻るとしよう。またそなたに会えるとよいと思う、カザルス殿」【登場人物のご紹介】 ☆その他の登場人物はこちらです☆≪トゥパク・アマル≫(インカ軍) 反乱の中心に立つ、インカ軍(反乱軍)の総指揮官。40代前半。インカ皇帝末裔であり、植民地下にありながらも、民からは「インカ(皇帝)」と称され、敬愛される。インカ帝国征服直後に、スペイン王により処刑されたインカ皇帝フェリペ・トゥパク・アマル(トゥパク・アマル1世)から数えて6代目にあたる、インカ皇帝の直系の子孫。「トゥパク・アマル」とは、インカのケチュア語で「(高貴なる)炎の竜」の意味。 清廉高潔な人物。漆黒長髪の精悍な美男子(史実どおり)。≪カザルス≫(スペイン軍)スペイン軍総指揮官ホセ・アントニオ・アレッチェ直属の陸軍歩兵大将。40代後半。実力のあるベテラン軍人であり、此度の沿岸部におけるインカ軍本隊との決戦においても、歩兵・騎兵・砲兵の混成部隊を指揮統率していたものの、自軍の半数の兵力に過ぎなかったトゥパク・アマルの騎兵部隊に敗退を余儀なくされた。負傷して現在はインカ軍の元で治療を受けている。◆◇◆はじめて、または、久々の読者様へ◆◇◆目次 現在のストーリーの概略はこちら HPの現在連載シーンはこちら ★いつも温かく応援してくださいまして、本当にありがとうございます!にほんブログ村(1日1回有効)