コンドルの系譜 第四話(8) 皇帝光臨
トゥパク・アマルは手に持っていた一枚の書面とペンをアリアガの目の前に置いた。「これに署名をするのだ。」感情の無い声で、トゥパク・アマルが言う。頼りなげに揺れる蝋燭の灯りにすかすようにして、ちらりと書面に視線を走らせたアリアガの顔色が、これまでにも増して蒼白になっていく。アリアガは、改めて事の重大さに驚愕した眼(まなこ)で、眼前のインディオを見た。トゥパク・アマルは、完全にあの能面のような表情である。感情を差し挟む余地は一縷もない。アリアガの表情が崩れるように歪む。そして、再び、その代官は、喰い入るように書面を読み返した。その書面は、アリアガの配下の会計係宛てのものであり、次のような内容であった。『調達できる金を全て、集められる武器を全て、トゥンガスカの集落まで至急届けよ。イギリスの海賊どもが海岸を荒らしているため、代官として手勢を多数引き連れ、直ちにアンデスの高原を下り、英国人の討伐に向かわねばならない。』トゥパク・アマルは、アリアガの手元にペンを置いた。「署名をするのだ。」アリアガは、生唾を呑んだ。単に、代官殺しをしようとしているのではない。これは、反乱計画の一部なのだ…――!!今更ながらアリアガは悟ったが、トゥパク・アマルの氷のような表情を前にして、もはや拒絶すれば直ちにいかなる目に合わされるかは明らかに思われた。アリアガは、震える手で署名をする。トゥパク・アマルは無言のまま署名を確認すると、用件を済ませたアリアガの手首を再び縛り、その部屋を後にした。そして、翌日。その書面は、すぐにアリアガの部下に届けられた。もちろん、「イギリスの海賊が海岸を荒らしている」などという文言は、軍資金や武器を奪取するためのトゥパク・アマルの全くの作り話であった。しかしながら、この時代、スペインにとってイギリスは、当植民地の支配権を狙う予断のならぬ敵国であった。従って、書面を読んだアリアガの部下がその内容を信じ込んでしまったのも無理からぬことであった。代官の部下たちは、これ大変と、早急に「アリアガの命令」に従った。まもなく、2万2千ペソ(邦貨で約1,100万円)の現金と若干の金の延べ棒、75梃の小銃と多数の馬やラバが、トゥパク・アマルらの兵が待ちかねる指定の場所まで運ばれてきた。運んできたアリアガの部下たちは、そのまま捕虜となった。合わせて、トゥパク・アマルは密かに、最も信頼できる筋の近隣の同盟者たちへの呼びかけを開始した。そして、インカ側に味方する反乱軍の兵を自らの領内に集めはじめたのだった。