介護保険で住宅改修するときは
ワタシの外来には、介護保険サービスを受けていらっしゃる方が沢山通院されています。毎週意見書を何通か書き、現在のケアプランについての会議の報告書にコメントを書き入れなくてはなりません(ワタシのところには事後承諾みたいに書類が来るだけ。忙しくて会議には出席できないからということになっていますが、おそらく会議の席に医者がいるとケムタイという本音もあるのでしょう。ワタシが都合の良い日時を問い合わせられたことはありませんから。)。 さて、昨日の報告書に気になる内容がありました。『1.足腰が弱って布団から起きあがるのがつらいので手すりを設置して起きるときにつかまれるようにして欲しい。2.自宅の浴槽に出入りする際に足がひっかかるので浴槽を床に埋めてしまいたい。』という住宅の改修希望が本人と家族から出ており、その通りの工事がなされそうになっています。会議に出席したメンバーを見ましたら、案の定PTもOTも入っていません。まず1.について、カルテをひっくり返すと2ヶ月ほど前に入院歴があり、病院での生活には問題はなかったようです。つまり、ADL上はベッドに寝ることには問題はなさそうなのです。起きるときに床に敷かれた布団からというのと、ベッドに腰掛けてからというのとでは、位置エネルギー値の変化が1.5倍は違います。足腰にかかる負荷を軽減するならば、手すりよりはベッドにする方が一般的なのです。何故に床に布団を敷いて寝ることに固執するのでしょうか?このワケを解明しないで工事を始めてしまうのは良くないです。更に2.については、同じことを考えて大失敗された事例を15,6年前に知っています。当時は、相談しやすい社会システムはありませんでしたから、その方は自分の考えだけで工事をしてしまったのでした。床に浴槽を埋め込んで足がひっかからなくなり入り易くなったと喜んだのは数ヶ月間でした。風邪をこじらせて寝込んだ後は全身の筋力が低下してしまい、自力で浴槽から這い出ることができなくなっただけでなく、家族が介助しようにも、床に深く埋め込まれた浴槽から引き上げるためには、タイヘンに無理な姿勢と腕力が要求されたのでした。結局、その方は浴槽に浸かることを諦めなくてはならなくなりました。せめて、入浴介護サービスが一般的になるまで寿命があればヨカッタのですが、一度も気持ち良くお風呂に入ることなく逝かれてしまいました。決して二の舞を目の当たりにしたくはありません。『必ずPTかOTに関わってもらうこと。』と書き入れ、本人の希望するような改修は、長期的に見て良くないと考えられることを、下手な絵を描いて図示しました。ケアマネさんもプロですから、「釈迦に説法」しているみたいな決まり悪さはあったのですが。 果たして、今日の昼休みにケアマネさんがやって来ました。午前中に手すりを仮設置して布団から起きあがれるものか試してみたらダメだったということ。しかも3年前に亡くなったご主人が使っていた高価な介護用ベッドが物置にあるというのに布団にこだわっていることがわからないこと。本人が、どうして布団にこだわるのかというワケを説明できない様子なので困り果てていること。などなどでホトホト弱っているということでした。いろいろと話し合っている内に思いついたのは、ベッドを使うのか嫌なのでも布団が好きなのでもなく、ベッドを設置するという小さな引っ越しが億劫なのではないか?その際に赤の他人にプライバシーを晒すおそれがあるからじゃないか?ということでした。こういう客観的には馬鹿らしいワケだと、本人もはっきりと主張しづらいはずです。ケアマネさんや介護スタッフとの信頼関係がまだ熟していないともいえますが、家というプライベートな空間に他人が入るとなると、ありそうなハードルです。「ワタシだって、電器屋さんが修理に来るとなると大慌てでその辺を片づけないと居心地が悪いモノ。一回、見られちゃうと開き直るというかハードルが低くはなるけどね。介護保険サービスを受けるくらいなんだから、隅々まで行き届かなくてアタリマエと本人たちが納得するには時間がかかるかもね。いっそのこと、どっかの施設とかにショートステイしている間に、ワーッとベッドの設置とかをされてしまうと諦めがつくかもね。その場にいると、コンナコトをやってるヤツはコンナ面してるのかと思われると思うといたたまれないモンじゃない?(コンナコトというのが客観的になんでもないことでもね。)」 ということで、現在のADLと将来の変化を見越したプランを専門的知識と経験がある療法士に考えてもらうことと(数センチ単位のことでQOLに及ぼす効果が全然違ってくるのですから)、論理的に攻めすぎないで非合理的心情を尊重して焦らずにコトを進めていくことをお願いしました。一番難しいのは、客観的に最良のプランを本人たちに納得してもらうことなのですよ。