嫌韓右翼は『高円宮殿下が見た韓国』を読もう
『高円宮殿下が見た韓国』を出版した高円宮憲仁夫妻 2002年のサッカー・ワールドカップ韓日大会(W杯)共同開催当時、日本の王族として初めて韓国を公式的に訪問した故高円宮憲仁夫妻の韓国体験記が本として出版された。高円宮氏はW杯期間の2002年5月29日から6月3日までの1週間、韓国政府の招きで訪韓したが、韓国を訪問したその年の11月、47歳という若さで急逝した。 『高円宮殿下が見た韓国』という題名のこの本は、高円宮氏が韓国を訪問した当時に写した写真と夫人の久子女史がメモした記録を紀行文形式でまとめたもの。 高円宮氏は日本サッカー協会名誉総裁の資格でW杯の開幕式に出席し、ソウル、水原(スウォン)、慶州(キョンジュ)、梁山(ヤンサン)、釜山(プサン)などの名勝地だけでなく、釜山のチャガルチ市場など韓国の隅々まで観光した。 「韓国にはおしゃれな人が多いと思いました。買い物をしにきた人だけではなく、市場で朝早くから働く女性たちも、ファンデーションや口紅をきれいに塗り、髪もしっかり整えている姿には驚きました」(南大門(ナムデムン)市場で) 「朝鮮初期に建造された亀甲(コブク)船が実戦に使用されずに忘れられていた時、李舜臣(イ・スンシン)将軍1人だけが朝廷にその必要性を力説し、亀甲船の改良に力を入れたという点で、なぜ李舜臣将軍が“国民的英雄”と敬われたのか分かりました」(李舜臣将軍の銅像の前で) 故人は帰国後、日本の東洋経済日報に韓国の紀行文を連載する予定だったが、突然死去したため、翌年、久子女史が代わりにこの約束を守り、40回の連載を終えた。 高円宮氏は王位継承序列は7位と低いものの、日本の王族としては珍しく「王室と国民の架け橋役」を買って出た人物で、対外的な活動も多く、日本では最も親しまれた王族の1人だ。 W杯開幕に合わせて韓国を訪問した時も、日本メディアは高円宮氏の訪韓について「新しい韓日関係を作った」とし、一挙一動を詳しく報道した。 韓国訪問の最後の記者会見で高円宮氏は、「近くて遠い国が近くて遠くない国になりました」とも話した。 東京=チョン・クォンヒョン特派員 2004年12月6日『朝鮮日報』日本語サイトより