岩手宮城内陸地震が起きる以前の栗原市花山地区(宮城)の風景
今回は、2004年に訪れた宮城県栗原市花山地区を紹介します。 この辺りには、温泉が点在していたのですが、2008年6月14日に起きた岩手宮城内陸地震の影響により、あらかた休業中のようです。 花山村(当時)へ向かう山道。けっこう、きついカーブが多かったです。 ここまでくると、宮城といえども、秋田に近い位置になります。りと様的に、あまり俗化されていない雰囲気が気に入ったにもかかわらず、なかなか足が向かなかったのは、単に「仙台から遠かった」から・・(汗)。そうこうしているうちに、あの地震が起きてしまいました。 温湯(ぬるゆ)温泉・佐藤旅館です。この時に、一度だけ日帰り入浴しました。(地震の影響により、現在に至るまで休業中のようです。)旧館は、明治~大正時代に建てられたそうで、建物の写真をもっと撮っておかなかったことが悔やまれます。温泉は「透明な単純泉」だったと覚えていますが、 源泉掛け流しの良いお湯でした。温湯温泉の近くには、地元民専用の共同温泉、いわゆる「ジモ専」がありましたが、なかなか渋い建物で、これまた写真を撮っておかなかったことが悔やまれます。 この時(6年前)は、温湯温泉を出た後、「湯ノ倉温泉」を目指して、少しドライブしてみました。車窓の左側には、風光明媚な一迫(いちはさま)川が見えましたが、車道は未舗装で、かなりの悪路でした。 あまりに風光明媚なので、車を停めて、河原に降りてみました。がっ、大量の虻がブンブン飛んでいて、とてもとても・・長時間河原にいることは出来ませんでした。 で、この時、やはり車で「湯ノ倉温泉」を目指しているらしい若者グループに呼び止められ、若者「湯ノ倉温泉は〇〇の方向でいいんですよね?」りと様「よく分かりません。」若者「〇〇の方にすすんだら、見えてくるんですよね?」こちらが、「よく分かりません」と言ってるにもかかわらず、何度も何度も確認を求められて困惑したことが思い出されます。 画像が不鮮明ですが、「白糸の滝」へ通じる吊橋です。 2008年6月14日の地震の時、この付近で、仙台市の御夫婦が行方不明になり、約一年後、あまりココから離れてない場所で、お二人の御遺体が発見されました。あらためて、御冥福をお祈りいたします。 朝八時過ぎ、地震がくる直前に、この吊橋を渡っていたのを釣り人に目撃されたのが、生前の最後のお姿だったそうです。地震の時に、この川に、大量の土砂が流れ込んだと聞いたので、今は、どうなっっているのか・・・おそらく、この時に撮影した風景とは違っているような気がします。また、「湯の倉温泉」も地震で建物ごと水没してしまいました。りと様は、この時に「湯の倉温泉駐車場」の看板だけ確認して車をUターンさせたので、「こんなことなら、あの時、湯の倉まで行っておけば良かった」と思ったものでした(涙)。 また、子供が生まれる前の話ですが、紅葉や連休などで混雑が予想される時、目的地(だいたい鳴子周辺)に、早朝に着いて散策したことも何回かありました。だから、この御夫婦が地震で犠牲になったことも、人事とは思えなかったのです。 もし、りと様夫婦が、この御夫婦のような立場だったとして・・・たまたま、地震の直前に誰にも目撃されなかったとしたら、人知れず、ホントに「消息不明」になっていた可能性もあったわけですし・・。あらためて、二年前の地震で犠牲になった方々の御冥福を祈ると同時に、いつか、この周辺の温泉も復活してほしいものです。