悲しい現実。
今日は久々のフラワーアレンジメントのクラスだった。ガラスの器を使って、1種類の花とグリーンだけでなるべくシンプルに、涼しげに生ける。夏の終わりを飾るアレンジメント。先生のアイデアを元にして、アジサイの花を花止めに使って器に入れ、ユリとグリーンで大胆に。作る前から、今日のアレンジメントは友達にあげようと思っていた。この春に、がん告知をされた、あの友達である。 彼女の容態が思わしくない。8月の初旬頃から、激しい腹部の痛みを訴え始め再入院して治療を受けたものの、あまりいい成果が得られなかったようで退院したあとも、ずっと寝たきりが続いているそう。私たちもプレイグループを続けているけれど、たまにそこに顔を出す彼女の旦那は、無精ひげが生え、疲れた様子。でももちろん、決して弱音を吐くようなことはない。ご家族が近くに住んでいるので、食事や子供たちの世話など、たいていのことは家族の方たちが面倒を見ている中何もできない私たちプレイグループの仲間はとてももどかしい思いで、果物や花を贈ったりしながら何かあれば言って下さい、と伝えるしかなかった。 そんなある日、ふと思い立って彼女の家に電話をかけてみた。思いがけず、彼女が電話を取った。私は、久しぶりに彼女と話ができて本当にうれしかった。少し鼻声ではあったものの、声は明るく感じられた。みんな心配して、会いたがってること、必要なものがあれば届けるし、なんでも言って欲しいことを伝えた。彼女も、金曜日の午後が一番いいから都合が合えば来て、と言ってくれて私はうれしくて、あろうことか少し浮かれていた。 日を同じくして、仲間の一人があまりに連絡がないもどかしさに、ふと彼女の家を訪ねた。ちょうど、彼女も起きていて話ができたと言う。その時の様子がメールで、仲間たちに送られてきた。 「彼女の顔はこけて、黄疸が出ていた。明るく気丈な彼女は、そんな身体でも起き上がってきて私を迎えてくれた。涙をこらえながら話すのに必死だった。その間中、吐き気と闘っていた。」 その訪ねていった友達の身体も、その現実を受け入れるのを拒否していたんだろうと思う。病気の彼女は、痛み止めを飲んでいるのでその友達と話しながら、15分ほどで眠ってしまったと言う。そして、そのメールに書いてあった、悲しい現実。 「I have been unable to accept the harsh reality until today, it all came crashing down upon me...She is dying.」 体が凍りついた。なんでそんなことを言うの?!私たちは信じていなくちゃいけないじゃない!!そう思った。でもきっと、そう言わずに入られない現実が、そこにあったのかもしれない。電話での彼女は、いつもの「強い彼女」がさせた「社交辞令」だったのだろうか。悲しくてたまらない。彼女に会いたくてたまらない。 花を届に行ったとき、やはり彼女は寝ていたので、会えなかった。この花を見て、少しでも、彼女に笑顔が浮かんだらうれしい。