浪人生の大学受験
過去日記だけど息子の大学受験のことを書いておこうっと。何事もすぐ忘れてしまうもん。浪人生だった息子、正月の頃はなんだか痩せてきたなーって心配でした。もともとコツコツやるタイプじゃなかったけど、たぶん秋からどうにもならなくなって、一気に追い込みかけてたんでしょうね。頬があまりにもげっそりしてきたので、自分が望んで浪人したとは言えなんだかかわいそうになって、とにかく2浪はさせたくない、この1年で自分が納得いくよう受験を終わらせてほしいなって思ってました。そして始まったセンター試験。初日は朝早く行きすぎて会場があいておらず外で待っていたみたいです。おなかの弱い息子はそれで冷えたみたい。いざと言う時にナーバスになってしまうので、初日のできはイマイチ、しかし2日目のできはバッチリだったようです。ところができたというのが曲者、自分ができた時は他人はもっとできた時なのです!!それに気づかない息子は浮かれてそのまま友達とごはん食べに行ってしまいなかなか帰ってこなかったんです…。まったくー!!センター終わってほっとしたんでしょうか。私はその頃、今年のセンターが易化して平均点がすごくあがるんじゃないかという情報を見てしまって真っ青。案の定、採点してみると現役だった去年よりはとれてるけど、やっぱりこれではギリギリ過ぎる。息子は易化の情報掴んでなくて点数だけ見て「○○点取れてたよ!」って嬉しそうに言ってたけど、やっぱりこれじゃ危ないよ…。親子で話し合いました。結局息子は志望大の変更をしました。それからあわてて受験のためのホテルと新幹線のチケットを取って私もあとからアパートの下見をするため合流しようと画策。ところが、前期試験の1週間前、娘(妹)が高校からインフルエンザをもらってきてしまいました!くー、なんでこの時期に~!と思う間もなく2日前には私までインフルエンザに…。息子に移らないかとひやひや…!もう、最大のピンチでした。移ったらマズイと思うから息子の食事も作れない、せまいうちの中で極力顔を合わせないようにしてお金を渡して外で食べさせ、移らないうちに早く現地入りして欲しい、そんな思いでなんとか過ごしましたが、なんとか発症することなく無事に送り出せました。ホテルから無事着いたよの電話があった時にはほっとしましたー。実はその大学に息子が行くのは受験の時が初めてという無謀さ。でも早めに前日入りしたので、大学までの下見も済ませ当日も遅れることなくちゃんと着けて無事受験できたようです。遠方から1人で来ている受験生が多かったらしく、ホテルの食堂でそういう子たちと話してなごんだとも言ってました。私が行けなくなったアパート探しはダンナが行ってくれました。息子の受験が終わる頃、現地入りし2人で不動産を回り無事仮契約できたようです。不合格だったら解約できると言うのでこの時期に契約。ほんとは合否もわからないのに一種の賭けだと思うんですけどね…。後は結果を待つだけ…。それからは、あっと言う間でした。私立の合格も頂いたけど、受験の時に初めて見たその大学をすっかり気に入った息子。もし合格したら1人暮らし、私としては寂しいけど息子が行きたいと思ったその大学に合格できればいいなと思っていました。発表の日は職場で確認しようとした私。でも緊張しすぎてリロードもできず、もたもたしてなかなか確認できません。10分、15分と時間だけが過ぎ、焦っていたらダンナからメールが!「合格してたよ」「え、ほんとにあった?私、まだ見れてないの」「もう1回見るよ」とやりとりして再度確認したダンナ、「やっぱりあるよ!」そして続いて自宅のパソコンでチェックした息子からメール「合格してました!!!!」やっぱり受かってるんだぁ。それからやっとアクセスできた私、自分の目で合格を確認できました。そして息子から私達夫婦にあてたメールが。「この2年間本当にありがとう。わがままばかり言ってごめんなさい。2人のような大人になれるように努力していきます」息子に対して私はろくなことができなかったし、直前にインフルエンザになって息子をピンチに陥れるし、受験のアドバイスもできずそれどころか余計なことをつい言って息子の決意を惑わしてばかりだったかもしれない。それに何かと言うと叱ってばかりだった、振り返れば後悔もたくさんありますが、でも嬉しかったですね…。このメールは宝物です。今息子はとっても楽しそうです。授業料+一人暮らしの費用。無事卒業するまで親の私たちは今まで以上にがんばらないといけませんけどね…。それと、浪人生の母だった頃、同じ浪人生の親御さんたちのお仲間がいて心強かったです。みんなにいっぱいアドバイスと情報を頂きました。今思えばそれがありがたかったなあって。