代表的日本人
「代表的日本人」を持って車で出かけて、帰ってきたら本がないんです。図書館から借りてきた本だから家中探しました。結局家の中にはなくて、もう一度車の中を見たらありました。助手席の左側に落ちていたんです。カーブで曲がる際に滑って落ちて気がつかなかったんでしょう。最後の 日蓮上人―仏僧 の所に次の記述があり、ショックを受けました。 宗教は人間の最大関心事であります。正確に言うならば、宗教のない人間は考えられません。さて、あなたはどうですか。わたしはこの歳になるまで無信心なんです。どうしましょうかねぇ。もう少し、記述を続けましょうか この本は青空文庫に記載途中です。だからここに書いても著作権侵害にはならないんではないかと考えているんですが。 私どもは、自分の能力をはるかにこえる願いごとをもち、世の与えうるよりも、はるかに多くのものを望むという、妙な存在なのです。この矛盾を取り除くためには、行動はともかく、少なくとも思想の面で何かをしなければなりません。 だれそれは「無宗教」の人であるという話はたびたび聞かれます。しかしそれは、その人たちが、特定の教義を奉じているわけではなく、導かれる教団もなく、神として、木や金属でできたりまたは心に浮かべた像を崇拝していない、というだけの話にすぎません。それにもかかわらず、その人々にも宗教はあるのです。その内部にある「不可思議なもの」は、ただ、「拝金主義」とか「お神酒」とか、あるいはまた、ほかの自分流の催眠術や鎮静剤によるものにせよ、あの手この手を用いて押しこめられているだけなのです。人間の宗教は、人生の人間自身による解釈であります。人生になんらか(註 「なんらか」の部分に側点あり)の解釈を与えることは、このたたかいの世に安心して生活するためには、ぜひとも必要なものなのです。 以下、省略ちょっと難しいですね。このくらいでやめておきます。でもこれは読むに値する本だと思うんですけどね。