舅と戦争
今秋、舅の1周忌を上野のレストランで行う。打ち合わせのため姑と夫と私で上野に行った。 西郷さん、メタボに気をつけて頭がやけに細長いお侍さんも見かけた。舅が癌で亡くなって、もうすぐ1年が経つ。舅の青春は戦争という大きな時代の波に翻弄された。戦後の焼け野原で友人と「日本を復興するためには、技術力が必要だ。」と話し、技術者になろうと大学は工学部に進んだ。舅は戦争中、陸軍幼年学校の学生だった。一旦、旧制中学に入り大学進学を希望していたが、先生から陸軍の学校に進むことを勧められた。当時の男子は二十歳で必ず兵役の義務が有り、軍隊に入り新兵の教育を受け戦地に出征した。「出征するなら将校となり、軍隊を動かしてからお国のために死ぬ。」と死を覚悟しての入学だった。いざ、戦争が終わって大学に進みたいと思っても、「旧陸海軍関係の学校に1年以上在学したものは、日本全国の上級学校夫々全学生の1割以下に制限せよ。」と占領軍から指令が出て、入学するのも大変だったようだ。今の時代は自分の努力次第でいろいろな道が選べる。あの時代に舅の同級生で出征して、特攻隊で亡くなったり、外地に赴き無念にも野戦病院で亡くなった人々のことを思うと今は幸せな時代と言える。最期には「天皇陛下万歳」ではなく「お母さん」と言って亡くなる人が多かったと聞いた。以前の日記にも書いたが、娘が小さい頃上野動物園で戦争のために殺された「かわいそうな象」という本を読んで泣いたとき「やりたくてやったんじゃないんだ。(戦争のこと)」と舅が突然怒り出したのを思い出し、亡くなる前まで戦争だけはやってはダメだと何度も言っていたのを思い出す。時代の波に抗えなかったのだと思った。舅の幼年学校時代の同窓生の皆様方は逆巻く怒涛の時代を逞しく生き抜き、その後各界の要人として活躍なさった方が多い。お葬式では「永別離」という軍歌を80才近い方々が背筋を伸ばし、朗々と歌うその姿を見て感激した。以前、TV東京の「寮歌祭」という番組に舅を含め皆様は毎年出演していたが、番組が中止になってから見ることができなかった。今回の1周忌でまた歌声を聞けるのが楽しみだ。今日のお弁当しそわかめおにぎり、インゲン、から揚げ、卵焼き、マカロニとコーンのサラダ、トマト、プライドポテトカレー味もし良かったら、クリックお願いします。いつも有難うございますくる天 ブログランキング 人気blogランキングへ