「巨匠とマルガリータ」を読んでみた
カナダ人の芸術を教えている人からのおススメの本がこの「巨匠とマルガリータ」。ミハイル・ブルガーコフが1929年から1940年にかけて執筆した長編小説。ソ連当局によって体制批判として受け止められて生前出版が叶わず、出版されたのはブルガーコフの死後26年も経った1966年だった。(WiKIより)【中古】単行本(小説・エッセイ) 巨匠とマルガリータ / ミハイル・A・ブルガーコフ/水野忠夫【中古】afbという曰く付きの本で、今では注目の一冊らしい。日本語版で約600ページ弱。読書家ではない私にとっては、結構大変かな?と思いましたが、奇想天外で空間と時間を自由に駆け回る想像の世界を、ファンタジーのみに終わらない、心情に訴える味わいをしっかりとした構成で組み立て、終わりまで、案外スッと読めました。他の本もそんなに読んでいないので、比較ができませんが、きっと良い本なのでしょう。ここからは、個人のメモ。多分、欧米では、神様がある反面、悪魔が誘惑してくる、悪魔の存在というのは、日常的なイメージで、身近なんだと思うけど、この本でも、悪魔がストーリーを作ってます。人生や世界の出来事の不条理を考えると、正直、神様がこの世をコントロールしていると考えるよりも悪魔がパワフルで、彼らによって、私たちは弄ばれている、と考えた方が、納得しやすいことが多いからね。よくあるでしょう。なんで、あんな強欲で自分のことしか、考えていない人が、成功して、真面目で従順な人が、虐げられたり、良心に反して、望まないことをしなければ、ならなかったり。そんな時、思わず、なんで神様は助けてくれないの?とか、なんでこの世の中を容認しているの?とか、神様はいないけど悪魔はいる、なんて思っちゃうよね。この本の中においては、悪魔は神様とも知合い。悪魔の存在を信じない人を、悪魔の力で見せしめ、さらには、ヨシュア(神様)の使者が悪魔に頼みに来たりして、ヨシュアは、直接は人間界で行動はしないけど、悪魔の方は、やりたい放題!悪魔もあくまで、覚悟を決めた人に対しては、敬意をしめしたり、生半可な悪には悪を持って制する態度で、自由裁量で行動して、案外いい人っぽく書かれているのです。この小説の背景には、当時ソ連の共産主義体制によって、芸術の自由も、生活の自由も制約されたことへの批判があると言われていて、批判を直接、言うことのできない時代。ファンタジーの中で、悪魔を使って、当時の体制や権力者を壊す想像は、作者ブルガーゴフにとっても楽しい救いだったかもしれない、と思います。現代においてもやるせないことは、たくさんあると思うけど、もし、そんなときに道理のわかりそうな悪魔と会ったら、どうする?マルガリータ―のように魔女になってもいい、という気にもさせてしまう、ちょっと怖い本、とも言えなくもない。私から見た、マルガリータは、単調な自分の人生に何かワクワクするもの、意義を見つけたい、それが巨匠だったような気がして、それほど素敵な女性には思いませんでした。結局、愛って、自己愛なのかなぁ、って思ったぐらい。愛し愛されて、それで両者がハッピーで、お互いの価値をお互いの中に見出せるんだから、愛はそれでいいのかな。でも、嫌みな女性の見方からすると、巨匠とマルガリータは、平安の場所へ行ったから、いいのかもしれないけど、マルガリータのことだから、巨匠に飽きて、次のワクワクを探しに行かない?なんて、意地悪く思っちゃいます。私が一番好きなのは、やはりピラトゥスのやり取り。怖れや良心の呵責は、こんなにも善人を苦しめる、ということが、つらくもあり、そうあって欲しいという、正義への希望でもあります。そして、最後は本当にほっとした気持ちになります。人生も世の中も絶対的正義が通用しない世界。悪を悪を持って制すのか、正攻法で戦って弾かれるのか、良心を見るのを避けて苦しみ続けるのか、流れに振り回されながら生きるのか、その他の手で乗り切るのか、難しいよね。こんな風に私が、読んだ感想を書いちゃうと、名作も週刊誌並に見えちゃうかもしれせんが、こんなにスッと読めるのは、面白い本だと思います。ただ、内容の理解としては、読み手(私)の力量不足でしょう。正直、そんなに好きなタイプの本ではありません。でも、世界中が、絶賛され、名作と認める名作です。にほんブログ村