卒論 「は」と「が」のこと
卒業論文は結局「は」と「が」で書こうと思っています。覚え書きとして、少し、思考を整理するためにここにここまでの研究状況を記しておきます。日本語の代表的な助詞に「は」と「が」というものがあります。・私「ハ」社長です。・私「ガ」社長です。それらはこのように使われます。日本語を母国語とする人は、意識せずとも、細かなニュアンスも拾って「は」と「が」を使い分けることができます。これは小さな子供でも比較的早く可能になります。しかし、自分がどうやって、この「は」と「が」を使い分けているのか、どのような規則性を持ってこう使い分けているのか、ということを考えてみると「...あれ?どうなんだろう?」というケースも多いのではないでしょうか。まず、初回は「は」と「が」の原理を出来るだけ明瞭な形で提示するということを目標に語ってみたいと思います。1.『は』とは何か。結果から言わせていただきますと、「は」とはトランプの神経衰弱のような性質を持った助詞です。想像してください。ここにたくさんのカードが裏返しになっています。そこから一枚のカードをあなたは引きました。それが、この黒丸の部分に喩えられます。つまり、文の前項の部分です。●● は ~「まずこのカードを引きましたよ」と提示する、一歩目の部分です。これが、先程の文「私は社長です」における『私』にあたります。ここでは「私」にあたる、【提示されたもの】が、これから語られる話題のテーマだといえます。神経衰弱では、一枚目に提示されたカードと同じカードを引いてペアにしなくてはいけません。それと同じように、助詞「は」は最初に提示した言葉に適するのはこういうものだ、と、それに続けるてペアにするという性質があります。この場合は「社長です」がそれにあたります。つまり、「私」という提示した題目にピッタリと適合するのは「社長です」という事実だろうと、発話者は考えているわけです。ここまでお読みになって、そろそろ神経がいい感じに衰弱なさっている方もいらっしゃると思いますが、もうひとがんばりです。笑坂野信彦さんは、このような「は」の前項と後項を自信の著書の中で「仮説条件」と「適合条件」と呼んでいます。仮に立てた条件と、それに適する条件、というわけです。2.『が』とは何か。先ほどの「は」が、前半に提示されたものに、後半を適合させるという思考順序に成り立っているとすれば、「が」はそれとは逆です。実は「が」は、後半部分を起因点にして、成り立っているのです。どういうことかを説明したいと思います。「が」というものが表現したい文は、ある種の特異性なのです。この「私が社長です」という文章を見ていきましょう。この文章の場合、どこが特異であるというかというと、「社長である」ということです。確かに、社長は会社に一人しかいません。その点で、特異である、変わってるぞ、といえます。夜、繁華街を歩いていると誰でも「シャチョーサン」になれる町があると幼い頃に聞いたことがありますが、それは例外です。「が」では、特異だと思われる点が、発話の要因になります。そして、その特異なのは誰だ、もしくは何だ、という文章構成です。繰り返してまとめますが、この場合は、特異なのが「社長であること」、そして、他ならぬ特異な人に該当するのが「私」だということです。後半部分に特異でもなんでもないことを設定すると、「ガ」の文章が少々おかしくなってしまいます。例えば、社長ばかりでとり行われた会議があったとしましょう。そのうちの一人が大きな顔をして「私『が』社長です」と発言しても、おそらく周りの社長は(え、おれもなんだけど)という表情を浮かべるでしょう。先ほどと、センテンス自体は変わらないのに、違和感が生じるのは、この場合、社長ということが特異でもなんでもないからです。「が」は、特異なものにしか働きを持ちません。3.「は」と「が」 基本事項のまとめ簡単にまとめてみると、「は」 ○○ は 該当するもの※ ○○にあたるのは、~です。 「が」 該当するもの が ○○※ ~こそが、○○だ。こうやって考えてみると、「は」と「が」では、「該当するもの」を先に出すのか、後に出すのかというところに大きな違いがあることがわかります。「は」の文に中立的な響きを感じ、また「が」の文に多少の圧迫を感じる方がいるのは、このような理由によるためでしょう。「は」では、私というものに当てはまるものといったら、社長です。「が」では、社長に該当するのは、他ならぬ私だ。というニュアンスの違いがあるからでしょう。お付き合いありがとうございました。なんでも結構なので感想を。。。こんな問題はどうかな、などなど。