英語では言えるのに(ことばの違い)
風邪がちっとも良くなる気配なし。花粉症まで今度は背負い込んで、薬のきれない毎日を過ごしています。ハナ子と仲の良い同級生がカリフォルニアへ越す事になりました。秋からはニューポートビーチの住人だそうで、ああ、いいなあThe O.C.の世界です。元々がカリフォルニアからここへ転職で来ていた一家ですが、”とても条件のよいすばらしいポストにつけることになったから。”とクレアのお母さん。アメリカの人は栄転、キャリアアップを謙遜したりすることなくはっきりと口にして報告してくれますね。自分の子供も人前でめちゃくちゃ褒める。娘のコーチは20代後半、初めてあったときはその完璧な美しさ、身のこなしに驚きました。コーチのお母さんに会った時、そのことを何となく言うと、”そうね、彼女はmarvellous!な女性だと思うわ。それに、子供を教えるのがとても巧いでしょう。なにより子供の安全を考えてレッスンを見ているのよ。”子供をたとえばジムナスティックで褒めてもらって”だけど、運動だけでね~算数なんてとんでもないのよ。あれじゃこの先どうなるのかしら、、”などと絶対かえってこないアメリカのママ達。”ありがとう、あの子はさせてみたらジムに才能があるみたい。私も子供の頃からジムナスティックをずっとしていたのよ。”と喜ばしげに返事が返ってくる。今年のお正月日本から来たオバがアメリカの先生と生徒の関係についてどうなの?と言うので、”それが全てじゃないけど、たとえば幼稚園なんかだと毎朝登校したとき先生がぎゅーっと抱きしめて「まあ、今日もあなたの顔を見られて嬉しいわ。」なーんて必ず言うよね、今もカープールで朝車から出ると「今日の髪型すてきね、それ大好きよ。」とか「あなたは自慢の生徒よ。」とかさ、、、、言われるものだから子供もその気になって朝から気分良いわけよ”オバは自営業ですが”それおばちゃんちの事務所でもとりいれるわ。社員さんが出勤して来たらまず、今朝も元気に来てくれてありがとうね~!っていうのはどう?うちの会社はこれからはそれよ!”そんなことを話しているうち、この朝から気分良いっていうのは子供にとってかなりプラスになるアメリカの良い部分ではないかと思いました。で、次に言語の違いがことばの表現文化にかなりの違いをつくっているってこと。バレンタインデーにハナ子達はクラス全員分”あなたをどう思っているか”という3文ほどのコメントを書き提出しました。あとから全員からのコメントシートを綴じたハート形の冊子をもらったのですが、そこには男女問わずあなたは素晴らしい!あなたはいつも助けてくれて困った事をやっつけてくれる。あなたが友達になったことはクラスに取って価値あること。また、個人個人でLOVE IS,,,という題の詩を書いて発表しました。愛は空に浮かぶピンクの雲にある木の上でさえずる鳥達、バレンタインにおたべ、ともらうチョコレートなにもないフレッシュなフィールドにキスしている2頭の馬ハートの形の大きな雲、、、 by HANAKO日本語という言語でこれら陳腐にならず表現出来るでしょうか?でも英語という言語ならばしっくりくる単語がありストレートに表現出来ます。1年生の子供が作文の時間に書いたとしても誰も変に思わない。こういうとき言語というバックグラウンドの違いを感じます。私は婉曲な表現、言葉のそこにある意を汲み取ってもらう事を待っている日本人なのですね、直訳直球な表現は身体に染み付いていないのでしょう。ありがとう、を言う機会も日本を離れるととたんに倍増します。アメリカのレストランでオーダーを取ってもらったりお水をサービスしてもらったとき、Thank you!ってすっと出るのに、日本へ帰るとありがとう、は違和感感じて口の中で止まってしまいます。すみません~なら出る時もあるのですが、ためらいながらのすみませんになんでなっているんだろう?学校でのバレンタインワークを見て、そんなことをとめどなく考えすぎてしまいました。その時間にずいぶん英語を勉強出来そうですが。