親子で読書
先日横山秀夫の「半落ち」を読み終わり、泣き面でいるところを家内に見られてしまったが、「あれを読んで泣かなければ人間じゃないわよ。」と慰められた。この本次女が貸してくれた。本の内容が本題ではなく、娘が貸してくれた本、というところに意義がある。うちの娘達は高校時代は本当に本を読まない娘達だった。次女も読書をしなければいけないとは思っていたらしく、当時私たち夫婦が夢中になっていた、浅田次郎の「壬生義士伝」に挑戦したことがあったが、「漢字が多くて読めないや。」と断念してしまった。その次女が、家内が繰り返し読んでいる「モンテ・クリスト伯」を読んで、読書の楽しさを知ったらしい。それからは家にある本を次々と読み始め、とうとう自分で探した本を親に勧めるまでになった。私も中学生の時、学校の図書室で吉川英治の「三国志」を借りてきたら、父親が夢中になってしまい私そっちのけで読んでいた。でもそれに不満どころか、自分が選んだ本に父親が夢中になることの方が嬉しかったような気がする。続けて吉川英治の「水滸伝」も借りてきたが、これは自分のためより父のために借りてきたようなものだ。先ほど娘に「いい本を貸してくれて有り難う。お父さん感動しちゃった。」とお礼を言ったら、嬉しそうにしていた。俺って良い父親じゃん!