情報化社会と高校野球
いつの間にか高校野球ファンです。 プロ野球は、強いてみたいとは思いません。今年の夏の甲子園の選手権は、あまり噂を呼ぶ強豪や、すごいスター選手がいないようで(と言ってもこれも飽くまでマスコミやわたしの情報範囲での限定)わくわく感は少ないです。わたしは野球をやっていたわけではないので、すごい技術や、戦いの評価をしたいなどではなく、いろんな偶然や、頑張りが分かりやすい高校野球に魅かれています。真面目に頑張ったり、訳あって弱いけど頑張るとかいうドラマチックなことも好きです。逆に、いわゆるチート、キレイでないプレー、高校生らしくないプレーを見てしまうとがっかりし、葛藤もします。今ではググると、そういった動画や情報、噂が出てくるのですが、何が本当かはやはり分かりません。判らないなりに、あれば選手がこういう気持ちだった、こういう状況だったと仮定して、批判したりしています。たとえば、やっちゃった系では、ファーストを駆け抜けるバッターランナーが、一塁手の足を蹴った件。技とか偶然かは別として、やっては行けないこと。後味悪い試合で、その選手は誹謗の的となりました。この件についての、わたしの判断は、わざと見られるような間違いはしてならない。たとえ、それが負けに繋がっても、高校生らしい(相手をケガさせない)プレーをすべき。その注意を怠った代償は、人生経験として大きくのしかかる。 です。もう一つは、まさに物議をかもしだしますが、カットマン、とかカット打法と言って、自分が明らかに打てる球以外をストライクを取られないようにファールにする、つまりカットする。そういう技術と戦術です。これをやられると、投手は、一人に13球とかなげるハメになり、その内にフォアボールとなり、非常にバッター遊離です。これをOKとすると、野球というゲームの本来のルールからして、不公平で、楽しく成り立たなくなるとわたしは思います。グレーな領域があり、ルール上はバントでなくて、バットを振っていればよいはずですが、そのグレーなのを審判の判断で、前に打ち返す意志がないと注意されたり、それを続けると、スリーバント失敗でアウトとされます。この問題が、あまり起きていなかったときに、ここに目を付けた小柄な選手がカットマンとして堂々とこの姑息な戦術をとり、批判されました。物議は、彼は当時のルール範囲だとか、彼が批判のプレッシャーにより倒れたのでかわいそうだとかいろいろありますが、わたしは彼が、勝ちたい、自分の体格の割に頑張りたいがために選んだことが、甘いと思います。客観的に見て、ゲームが一方に不利、遊離になるこのルールの落とし穴を着いて、高校生球児らしくない方法を、よしとして行った代償は、そこで勝ったり、塁に出られたことよりも大きかったのではないかと思います。タイトルは、情報化社会とも関係しているとしています。その時の、本人の気持ちや事情は良く分からないし、動画を上げられても、どこをクローズアップするかで見え方は偏見を持ちます。これから頑張る高校球児や監督などは、大変だと思います。ちょっとしたミスが、ネットに書かれ、動画を上げられ、思わぬ批判を受けます。わたしも、下世話な評判に陥らず、公平に野球観戦を楽しむように注意したいです。