新論文「問題解決は全身全魂で」第2章(5)
31ページから2.3 体にいい美味しいものを食べる 2021.11.22 この間、確か2006年の古い日記(ブログ)を偶然見て、自分が「食べること」に関しては、やる気をいつでも出せると思いました。これをまず紹介しましょう。 それは次のような感じの日記でした。 「その日は、ずっと気分が悪く、何もやる気がしないような日でした。 しかし、午後、秋田から山菜が届いた途端に、 やる気が急に出てきて、山菜の処理をいろいろと始めていました。」 ところが、その日記が見つからないのです。 2006年の「美味しいもの」の分類の日記を全部探しても、ないのです。 がっくりして、ではどうしようかと嘆きながら、2007年の日記も探さなければならないかと思いました。しかし、しませんでした。でも、2006年だけでも「美味しいもの」の日記の数がやたら多いことに気づいたので、数えてみたら、1年でなんと224件もあったのです。 さらに、ここ2年近く、 コロナ感染のことをいろいろ心配して、自分の体を健康にすることについては、特に、何かをやりたいという気持が強くなっています。 「体にいい美味しい食材を探すこと」、「美味しく食べること」、「自分で料理をすること」、「自分が作った料理を他の人にも楽しんでもらうこと」、「誰かと一緒に楽しんで食べること」などについて書きたいと思いました。生きて、自分のやりたいことをやり遂げるためには、食べることが一番大事だと思います。 そして、食べることが好きな私は、本節、最初から、やる気十分の状態になっています。 (青字は最終編集時の気づき)ということで、2.3節を始めましょう!食べることは、生きるためには絶対に必要なことなので、これらのことは忘れてはならないし、これらのことに常に気を配っていなければなりません。しんぢまってオシメーにならないような体にも心にもいい食材選びと、料理のやり方について、私の経験(実践)から身につけたやり方や考え方を説明します。 しかし、これは料理本ではないので、私と同じようにやったら、書いてある通りのものができるというような内容ではありません。私の考え方と、私が試した結果です。いつもそうなるかどうかは分かりません。また、やり方といっても、何回も試していないので、いつもそのようにできる保証もないのです。ぶっつけ本番のものが多く、毎回、違ってしまうことが多いのです。 私の料理は、決まった料理を同じように作ろうとするものではありません。即興的な面が多いのです。目の前にある食材を見て、直感的に何かを作ろうかと思うようなもので、 予め料理を決めて、そのための材料を探すことは少ないです。ですから、ご自分で作ってみたいと思われる皆さんには、むしろ、私の考え方だけを参考にされ、ご自分の考えで、判断、行動していただきたいです。私がお伝えたいのは、自分がやってきたことが、自分の健康(心と体の)のために、よい材料を探すやり方と調理法につながっているだけでなく、作った料理を自分で楽しみながら、より健康になっている、ということです。 さらに、それら、自分が選んだ自然の恵みである「食材」を無駄にしない(この国は今食べ物の3割は無駄にしている)で、美味しく食べられるようにする気持を常に大事にしている、ということを強調したいです。また、贅沢なことはしないで。(経済のことも考えています。) つまり、足るを知ることです。 材料を採り過ぎない(山菜)、買い過ぎない、 なるべく新鮮な(旬がいい)ものを、 それらをできる限り無駄なく料理に使う、 味付けは控えめにして、多く作り過ぎない、 高価なものでなくてもいい、 それらを親しい人達と一緒に楽しむ、 食べ過ぎない、お酒も飲み過ぎない、(純米酒が好きですが) 沢山おしゃべりもし、和やかな雰囲気を作る(コロナ感染がある状態では難しい)、などです。 食べ物を作ったり、レストランなどへ行ったりして、他の人と一緒に食べたり、おしゃべりもしたりしたいです。一緒の方が、美味しく、楽しいではありませんか。でも、これも今は自粛しなければなりません。(なお、前節の内容(体の痛みを和らげる)と、体にいいものを美味しく食べることとは密接な関係にあります。健康にも直結しています。) では、始めましょう。よい食材を探すここでは、主として、山菜採りと食材を買うときの選び方について、私が心がけてきたことややってきたことを紹介しましょう。山菜を採るときも、材料を買うときも、体によさそうで美味しそうなものを手に入れようと心がけます。それには、いつもアンテナを張っているのです。それらに気づく訓練を、長年にわたって、自然に、無意識にしてきたようです。山菜についてまず書きましょう。一つには、2002-3年に秋田に1年いたときに、300年の歴史があると言われている、朝3時からやっている、由利本荘市の朝市に毎日のように通い、店を出している人達と友達になって、「勉強」してきたのです。意識したわけではありませんが。そこのSさんから、山菜をはじめとする、 秋田の食べ物について、何でも教えてもらいました。後述のキリタンポ鍋の材料を調達し、送ってもらうのも、全部Sさんに頼んでいました。(その後、年2回の本荘滞在のときも、毎日のように朝市へ行っていたので、知り合いがまだかなりいます。残念ながら、高齢化で閉店したり、亡くなったりする方も多くなっています。)他の町へ行ったときにも、朝市へは行くようにしていました。秋田で有名な五城目(ごじょうめ)の朝市(500年前からあったらしい)にも行き、知り合いもでき、朝市通りにある 古本屋さんのOさんとも友達になりました。彼は山菜に詳しいし、自分で畑もやり、山菜の処理や調理も上手で、私はいろいろ教えてもらっています。Oさんの保存した山菜(塩漬け)は今の普通のものとは違い、塩の中に埋めたみたいに塩辛いのですが、これを塩抜きし、お味噌汁に入れたアイコ(ミヤマイラクサ;採るときチクチクする)は、びっくりするほど美味しかったです。本業の古本でも、私の研究の一つ、古文書解読に参考になる資料を沢山探してもらっています。関東に戻ってからも、年2回は、五城目と本荘へ行っていました(今はコロナで自粛中)。今いる栃木でも、さくら市氏家駅前で、土曜日午前中に開かれる小さな朝市に行くようにして います。売っているのは、地元の野菜が主ですが、おしゃべりをしたり、新鮮な野菜を買ったりしています。野菜では、Kさんの根ショウガ、カラシナ、大根、野ゼリなど、Yさんのお饅頭、お惣菜や お餅など。ついこの間も、Kさんの細い大根を選んで買い、作った、辛味の大根おろしが絶品で、卵焼き、鮭の塩焼き、ステーキ用ソースなどに使い、楽しめました。これらの経験で、山や森の中を歩いていても、お店に置いてあるものを見ても、美味しそうなもの、新鮮かどうか、お買い得なものなどに気づくことができるようなのです(私が)。また、無駄にならないように、採り過ぎない、買い過ぎないようにいつも注意しています。しかし、山菜の盛りの頃など、朝市へ行くと、我慢できなくなり、沢山買ってしまうこともあります(一種ずつは少なくても、いろいろな種類のものを買ってしまうのです)。山菜採りでも同じです。但し、これは秋田での話で、栃木では、福島原発事故で撒き散らされた放射能のお陰で、10年も経ったのに、山菜がまだ解禁になっていないのです。ですから、栃木では、私の山菜採りは年2,3回以内に抑えています。私など、まだ那須地方(福島に接している)へ行かないようにしています。いろいろな食べ方を工夫して、極力、捨てる部分を減らし、全部食べるように心がけています。 直ぐ食べられないものには、水を振りかけて、新聞紙に包んだりして、少しでも長く保存できるようにしています。また、初めによく見て、痛み易いものから食べるようにしています。山菜が好きになったのは、退職後、2002年に秋田の本荘(当時はまだ本荘市)にいたときです。ワラビとゼンマイの区別もできないくらい、山菜のことを知らなかったし、あまり食べたこともなかったのですが、4月初め、ここにある大学で新しい研究を始める、お手伝いのために来たとき、 最初の朝に、山ワサビの漬物(花も、茎も、根も一緒)を、ここの美味しいご飯の上に乗せて食べた(後述のSさんの喫茶店で)のがきっかけで、山菜にとりつかれてしまったのでした。 大学へ行き始めてから、私は、毎日のように、昼には、雨が降っていなければ、学校のすぐ隣にある山へ、朝市で買ったおにぎり、漬物だのを持っていき、昼食を食べ、山菜を探そうとしたのです。 そこで偶に会う人や、日参し、会う、朝市の人達に少しずつ教わりながら、山菜を覚えていきました。朝市休みの日も、市内の山や公園で、山菜を探し、ちょっとの間にワラビが分かるようになりました。このように山菜に夢中になったのは、ご先祖様が、狩りをするより、農業系だったということでしょうか。大昔、小学校で不登校同然だったときも、野山で散歩をすることは好きだった記憶があります。 秋田にいたときも、最初から、ごく自然に、たった一人で山や林の中で山菜探しをしていました。 秋田へ来てから、朝食と夕食は、自分が住むアパートと大学の中間にある、喫茶店「飛行船」で食べることにし、この店のSさんや、Sさんのお母さん(上述の霊感の)とも友達になり、町や秋田のことや山菜についても、いろいろ教えてもらいました。ここでは、山菜の見分け方だけでなく、食べ方についても教えてもらえました。また、ここの美味しい食事も食べられました。 ここに来るお客さん達とも知り合いや友達になれました。因みに、友達を作るための一番いい話題は山菜です。ここで友達になった人の中には、鳥海山ふもとの青少年旅行村の管理をしていたKさんもいて(この方は、鳥海山のことに詳しく、その後、本荘へ行くたびに、いつも大変お世話になり、一緒に楽しい時間を過ごしています。行くたびに、必ず、奥さんも一緒に食事にも行っています。)、 旅行村にあるペンション四季(今はもうありませんが)にも行くようになりました。 そこのご主人のFさんは山菜採りの名人で、山菜のことを教えてもらっただけでなく、いろいろな 料理も作ってもらいました。教えてもらった山菜は、 野菜では、コシアブラ(タラの芽の仲間)、ウルイ(オオバギボウシ)、アケビ(芽)やアイコなど、果物では、アケビ(実)、ヤマブドウ、サナズラ(ヤマブドウに似ている)、マタタビ、サルナシ(キウイの原種みたいなもの)などです。 ここで、コシアブラについて、面白い(というか、ちょっと残念な)話があるのです。 その頃、なぜか分かりませんが、この山菜は、本荘では、あまり食べられていなかったのです。ですから、朝市でも売っていませんでした。あるとき、秋田市へ行ったときに、そこの市民市場(山菜を沢山売っている、いい魚も。)へ行ったら、沢山売っているではありませんか。 早速買って、本荘に持ち帰り、食事をする喫茶店でSさん達と一緒にコシアブラの天ぷらを食べたのでした。そして、次の日、朝市へ行き、山菜屋さんにコシアブラはないの?と聞きました。 そうしたら、2,3日経ったら、山菜屋さんが、ホラと言って、コシアブラを見せてくれました。 これからが大変で、コシアブラがよく売れるようになってしまったのです。 山へ行くと、こちらでも、前は採った形跡がなかったのに、今(その当時の)はそこいら中で採られてしまっていました。枯れたものも見られました。(その後、落ち着きましたが。) コシアブラは、この大事な芽(房になって出て、ここのところを普通食べるのです)が大量に摘まれてしまうと、枯れてしまうのです。(同じウコギ科のタラの芽も採りすぎると枯れてしまいます。) 山菜屋さんには感謝されたのですが、私はちょっと後悔しました。 私一人でも、青少年旅行村にある大谷地池(おおやちいけ)の周りを歩き回り、この頃にはワラビも、散歩しながら沢山採れるようになっていました。ワラビは同じ場所でも何回も採れるのです。私は、見たら採らずにいられなくなり、9月の終わり頃まで採っていたようです(Fさんの奥さんによると)。 私が自分で見つけ、採るようになったものもありました。ウルイなのですが、普通のものよりはるかに小さく、コバギボウシというものです。これはとても美味しいのですが、毒草と間違われやすいので、Fさんは採らなかったのです。さっとゆでても、漬物でも最高です。新鮮なものと塩こうじ(甘酒の素に塩を加えたようなもの)をさっと和えただけのものは絶品でした。 山菜を採るときは、できる限り、素手で採るようにしました。 アイコ(山菜の女王とも言われる)の茎や葉にはチクチクする棘があるので手袋やハンカチを使いましたが、それ以外の場合は素手でした。 草の中を手探りで山菜を採ろうとするとき、茎を見なくても、手触りでかなり分かるのです。また、ちょっと曲げたり、引っ張っても折れたりしないのは筋っぽいので採らないのです。 ですから、ワラビは、根元で折ったり、切ったりするのではなく、 私は、茎をつかんで、横にはらったときに、自然に折れる上の部分を採るようにしています。 (これは、西洋で、アスパラガスを折るとき、根の方と穂の部分を持ち、折るときに、折れた部分の 穂側を食べることと同じ発想です。) そうすると、あく抜きした後も、筋がないところだけを食べられるのです。 ということで、私が採るワラビは、長いのだの短いのだのいろいろあるのです。(あく抜きも自分でやります。そして、私、失敗致しません!私は、少し苦みが残り、シャキシャキ感も残るぐらいが好きなので、鍋に入れたワラビに 灰をまぶすか、重曹をかけた状態で、熱湯を注いで、70℃ちょっと程度(80℃以下)の温度でワラビが浸かっているような状態にし、以後加熱せず一晩放置します。)山菜の王様と言われているのは、シドケです(キク科モミジグサ)。 しかし、スーパーで売っているのは、いやな臭いがし、美味しくないことが多いのです。 秋田から狭山(埼玉)に戻ってから、あるとき秋田の、本荘の大学で知り合った、当時学生のTさんが、あるとき、自分の家の庭で採った新鮮なシドケを送ってくれたことがありました。 このシドケは、香りがよく本当に美味しかったです! さっとゆでたものだけでなく、生でサラダに入れたのも、感動するぐらい美味しかったです。 これは、私のいた本荘では、なかなか見つけられないものでしたが、 それを、2,3年前、栃木の塩谷(しおや)町の、湧き水で有名な尚仁沢(しょうじんざわ)のそばで、 大量に見つけてしまいました。(しかし、放射能の心配あり。) 味がよく、生でも食べられました。 このように、鮮度がとても大事なのです。採ったら早く食べる。 すぐに食べられないときは濡れた新聞紙に包んで保管するとか、など、鮮度を保つ配慮が必要です。 但し、栃木県のような、大事故を起こした福島の原発からあまり遠くないところでは、山菜はまだ解禁になっていません。私は毎年少しだけ採るよう心がけています。 Tさんで思い出したのが、山菜ではありませんが、秋田のお米アキタコマチです。 彼の家は秋田内陸(お米が美味しい)のお米農家で、 秋田にいた2002年からずっと、毎年、ここのお米を送ってもらっています。 私達夫婦も、3人の娘達家族も全員、アキタコマチが一番美味しいと思うようになってしまいました。 しかし、だからといって、私達がそのお米だけを食べるようになったかというと、そうではなく、1年に1回新米が出ると、30キロだけ送ってもらい、一族全員13名で、ありがたく、少しの間、 夢中で楽しむのです。 特に私は、毎年、最初にこのお米のご飯を食べるときに、どうやって新米を味わうのかをいろいろ考えるのが楽しみで、それが習慣になっています。 イクラご飯にした、バターかけご飯だ、栃木の日光唐辛子だ、などと、いろいろ食べ方を試し、Tさんに報告してきました。今年は、塩お握りでした! そして、もしかしたら、これが一番かもしれません。 私は、美味しいものがあるからといって、いつもそればかり食べるのには賛成できません。 偶に食べるから美味しさとありがたみが増すと思うのです。それで(?)思い出したのが、山のアスパラガスです。 シオデという山菜です。ユリ科の植物で、つる草みたいで、折ると白い液が出てくるのです。 本荘の公園の脇の竹林で、それを採っていた人が教えてくれたのです。細くてアスパラガスなどを連想できないようなものでしたが、さっとゆでたものは、とても美味しかったです。 その後、隣町の山の中で同じものを見つけ、少し採って、 その町の山菜採りの名人に見せたら、「そんなチッコイものを採って」、と笑われてしまいました。 その人の採ったもの(山奥にあるらしい)を見せてもらうと、本物ほどは太くはなかったものの、アスパラガスにちょっと似ていました!私には妙に律儀なところがあって、このように、名人に会っても、山菜のある場所を教えてくれとは 言わないのです。名人が苦労して見つけた、他の人に知られたくない場所かもしれないからです。一方、私は、自分で見つけるのが好きなのです。このように書いていると、話は尽きず、秋田へ山菜の研究で行ったのかと思われるかもしれません。 実際に、冗談で、秋田の皆さんにそう言って、だましていました(自称山菜博士)。 それに、ここでは、町の中でも、興味があれば、いろいろな山菜に出会えるのです。 大学へ行っても、すぐそばは山林なので、昼休みに「山菜の研究」ができました。 私が一番好きな山菜は、もしかしたらフキです。 まず、フキノトウ(秋田ではバッケと言い)です。 2月ぐらいから採れます。天ぷら、煮物、バッケ味噌(普通フキノトウは炒めてある)などでよく食べられていますが、ここでは、あまりにもどこにでもあるので、 地元の人は、私が夢中で採っているとき、フキノトウだと分かると、そのまま立ち去ってしまいます。 関東では、平地の畑や家があるところのものは、私には匂いが悪くて食べないのですが、 ここでは、ほとんどどこでも香りがよく、食べられました。 ですから、私はそこいら中で採っていました。 私が特に好きなのは、生のもので作った「バッケ味噌」でした(自分で考えて作った)。 好きな食べ方は、刻んで、生のままを味噌やマヨネーズなど(今はよい味噌とだけ)と和えるというものでした。 また、甘酢に漬けたものも最高でした。 香りが強烈で、苦みも強いものです。 但し、一般の人には苦すぎるようです。 (私と娘達の家族は一人を除いて、子供達も含め、皆食べています。)